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2011-12-28up

〈マガジン9×グリーンピース〉コラボ企画:シリーズ「3.11以降を生きる vol.5」
「憲法と3・11」
伊藤真インタビュー(その1)「3.11は先の戦争とは違う。少数者・弱者が虐げられている大災害・人災です。」

憲法の根本的な意義と役割は「権力に歯止めをかけることである」という憲法学の本質を繰り返し説いている伊藤真さん。だとすれば憲法は、国、政府、そして原発マフィアという「権力」の暴走に歯止めをかけることができるのでしょうか? そしてどう復興に取り組んでいくべきなのでしょうか? …など大きなテーマについて、グリーンピーススタッフとマガジン9編集部がインタビュアーになり、お話をお伺いしました。個人の尊重・幸福追求権(憲法13条)と平和的生存権(憲法前文2項)が脅かされている今、私たちは憲法を生かすべく行動することが求められています。自分たちの足もとの問題として、「憲法と3・11」について家族や友達と話しあってみませんか。

●憲法前文2項:「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
●憲法第13条:「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政で、最大の尊重を必要とする。」
●憲法25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

伊藤真(いとう・まこと)伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。弁護士。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)、『憲法の知恵ブクロ』(新日本出版社)など多数。「一人一票実現国民会議」の発起人。

大震災と原発事故を受けて考えたこと

編集部 今年3・11に起きた大震災と原発大事故は、日本にとって、日本に暮らす人々にとって、どのような出来事だと捉えていますか? 

伊藤  直感的に三つのことを考えました。
 まず一つは、民主主義社会において「権力や強い立場の人は常に監視の対象でなくてはならない」、しかし我々はそれを忘れていなかっただろうか、という反省です。原発の安全を言い続けてきた専門家と称する一部の人たちの主張が、いかに当てにならないものだったのか。まず結論ありきの利権や政治が絡んだ目的や政策を、科学の名で説得していただけということが、いかにも多かった、ということを思い知りました。
 専門知識を持っている専門家という方たちもまた、強い立場にある人たちです。地位のある人の発言だからと、私たちは盲信・盲従していたのではないか。自分の頭で考えて検証し、疑ってかかるということをしてきただろうか、ということを考えました。
 同じ事が司法にも言えます。原発差し止め裁判において、地裁と高裁の判決が最高裁でひっくり返されるということがありました(*)。メディアも含めて市民は、強い立場の人間が決めたこと、下した判断だからと、信じ込んでいたのではないか。権力や強い立場とは、国家権力だけでないということです。

(*)福島第一原発事故以前に全国各地で数多くの原発訴訟が提起されたが、住民側勝訴の判決が出されたのは、もんじゅの設置許可無効確認訴訟と志賀原発転差止め訴訟の2例のみ。

 二つ目に、今こそまったなしで民主主義の実践が求められていると考えました。9条改憲是非の論議が盛り上がった時、マガジン9でも改憲論者の小林節先生と対談を行いましたが、議論していくうちに、国民にも政治家にも「立憲主義が根付いていない」という何より重要な問題が見えてきました。真っ向から意見の違う者同士が議論することで、妥協点を見つけ合う。どこが問題の本質なのか、ということを見いだしていく。これは民主主義の基本ですが、これまで私たちは日米安保体制、自衛隊の合憲性や死刑制度など、本来ならばとことん議論をし、白黒はっきりさせるべき課題に対して問題の解決を先延ばしにしてきました。現在もその傾向があります。
 そうした「大人の解決」をしてきたことに、もうそろそろ限界が来ているのではないでしょうか。こういったことが、原発事故にもつながり、とんでもない不利益をこうむることになってしまったのです。

編集部  多大な犠牲、大きな不利益をもたらした震災や原発事故について、国民的議論がもっとなされるのかと思っていたら、事故から9ヶ月を経て、突然政府による冷温停止状態宣言や首相の原発事故収束宣言など、とても議論を重ねた結果とは思えないことが次々と発表されています。経済界も原発を輸出すると言っていますし。

伊藤  それはなぜかと言えば、今回のことは、大多数の人にとっては「しょせん人ごと」だからです。ですから残念ながら、何も変わらないだろうとも思いました。国民の大多数は、今回の震災で何ら直接的な不利益を被っていません。今回の大震災について、「先の戦争に匹敵するような大災害」という言葉も言われますが、それは大ウソだと思います。そういうことを口にする人は、被害を受けていない人ですね。
 あの戦争の時は、全国各地が空襲にみまわれました。自分の身内を兵隊にとられ、戦地で亡くしてもいます。ほとんどの国民が何らかの形で実害を受けたのです。ですから皮膚感覚で「戦争はもういやだ」と思っていたはずです。でも今回の震災はそれとはまったく違う。そこを同じに考えてしまうことは、被災者のみなさんにとっての侮辱だと思うのです。「あなたたちの生活は変わりないでしょう。帰る家もあるでしょう」と言われたら、その通りなのですから。それをあたかも、日本人全員が被害者だというようなことを言うのは、それは問題のすり替えだと思います。

編集部  つい「日本に住む全ての人たちも被災者であり、被曝しているのだから、一緒にがんばりましょう」という言葉で気持ちを共有したい、分かち合いたい、忘れないようにしたい、という思いがあるのですが・・・それと現実に被害を受けているかどうかの認識は、分けて考える必要がありますね。

伊藤  今回は、少数者が虐げられ、弱者が被害を受けたケースです。少数者の権利を守る憲法が必要な典型的な場面です。逆に言えば、大多数の人が被害を受けた場面では、憲法など必要ないのです。もし今回の震災が、大多数の国民にとって本当に自分の問題であり当事者意識があるのなら、普通に民主主義のルートにのせて、民意を反映させればいいだけですから。でもそうでないから困難な問題なのです。そこの出発点をちゃんとおさえておかないと、憲法の出番はなくなります。
 一部の人にとっての不幸な出来事に過ぎないので、やがて忘れさられる、という恐れもあります。少なくとも、政治家や産業界の人は、これで変わろうという意識はまったくないように見えますね。むしろこの不幸をいかに利益に転換できるか、を一生懸命考えている。それは、被災者の人たちのことではなく、自分たちの利益が第一優先だからです。ある意味、経済人というのはそういうものであり、利潤を追求するのが会社だから仕方がない。だからそこは批判の対象にはなりませんが、そういう現実があるんだということは認識していないといけない。
 今回直接の被害を受けた人たち、加えて3・11以降「今のままではいけない。国の言うこともどこかおかしい」と思い始めた人もいます。そういう人たちは、「変わりたい」と考えています。そういう意味ではこの機会に変わろうとする人と変わりたくない人とのせめぎ合いなんだろうな、と思いますね。でも変わりたくない人の方が圧倒的に多いと思いますよ。

編集部  「変わる」というのは、単に脱原発派になる、ということではなく・・・・。

伊藤  根本の意識を変えるということですね。国やマスコミの発表を素直に信じていた人が、「自分の頭で考え、情報を集め、自分で決断し行動する」ということですから、多くの人にとっては難しいことだと思います。変わらない方が楽ですしね。
 直感的に考えた三つ目は、憲法9条に関係することですが、自衛隊の存在意義は災害救助であることを改めて認識しました。国民の自衛隊への期待や認知は、あくまでも災害救助の場面で本当に頑張ってくれているその姿を見てのことでしょう。
 私たちにとって今そこにある危機って何だろうと考えたら、いつ起こるかわからない、そして起きたら甚大で複合的な被害が必ず出る、自然災害ではないでしょうか。例えば、今後30年以内に87%の確率で起きると予測されている東海地震や、連動して起きる南東海・南海地震、高い確率で起きる可能性のある首都圏直下型地震などから国民を守ることが今、国家がやるべき第一の優先課題ではないかと。もちろん外国が攻めてくる可能性がゼロということは言えません。しかしその蓋然性から優先順位をつけたときに、国民の生命財産を考えた時に、国家の役割って何なんだろうと考えたら、自衛隊の役割を考え直す必要があるのではと思いました。

日本国憲法から原発震災・復興を考える

編集部  以前伊藤先生には、「憲法から東日本大震災を考える」というテーマでコラムを書いていただきましたが、「憲法」はどのような対処法の方向性を示していると考えておられますか?

伊藤  憲法には、今回のような大災害が起きてしまった場合の、指針となる条項はいくらでもあります。しかし今回、憲法の価値基準に従って緊急時の対応をしよう、といった人は一人もいません。政治家、行政官、民間の方でもいない。復興についてもそうです。だから、憲法が血肉になっていないんだな、ということを改めて思い知らされました。
 憲法に書かれている解決の方向性について言うと、憲法の根本は主体的に生きる、ということですから、全ての場面で主体性を持つことがすごく重要だと考えます。
 例えば、原発事故直後に多くの人が逃げ出しました。そういうことに対して、大げさだ、弱虫だ、と言った人もいるけれど、それは自分の身は自分で守るという主体性の表れですね。
 私はあの日は、弁護士会館で会議をしていて、電車は当然止まりましたから、渋谷まで歩いて帰ってきたのですが、ちょうど夜になっていて、渋谷の歩道橋の上から駅を見たのですが、すごい数の人たちが本当に整然と並んでいるんですよ。その光景を見たときに何だかぞっとしましたね。こんな時でも暴動がおきない、穏やかだということについて、みなさん評価されますが、裏を言えば、自分の身を自分で守ろうとしない、誰かが助けてくれるのをじっと待っている様子でもあります。何が起きてもパニックにならず従順であるということは、権力にも従順であることですから。 

編集部  同調圧力という言葉も使われますね。

伊藤  震災事故からしばらく経つと、みんなと同じ行動をとることが、「安心で安全だ」という発想にもつながっていきましたね。福島で、子どもたちの中でもマスクをすると、女の子はかわいくないとか、男の子は放射能がこわいというと、弱虫だといじめられる。親御さんたちが、お弁当持参や除染について申し入れをすると、「神経質でうるさい親」という扱いを受ける。国や県や校長先生が、この値以下は安全と言っているのだから大丈夫です、ということらしいのですが。放射性物質による健康被害については、一人ひとりの体調や免疫力によって違うはずですから、「みんなに安全かもしれないけれど、僕には危険だと思うから」というスタンスで正しいのです。
 主体的な自立した個人として行動する、「個としての自立」は、憲法の基本的なスタンスです。それをみんなが自覚していないので、さまざまな精神的プレッシャーなども感じるのだと思います。一人ひとりの自分の安心感というのは違うわけですから、「私はこの値でも放射能の危険性を感じる」として行動することは、何らとがめられることではありません。

(その2につづきます)

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