マガジン9

憲法と社会問題を考えるオピニオンウェブマガジン。

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これまでの「今週のマガジン9」

'12.12.26

VOL.385

2012年をふりかえって

 今年最後の更新です。2012年も様々な出来事がありました。たぶんいいこともあったと思うのですが、直近に行われた衆議院選挙の結果があまりにも衝撃的でしたので、全てそこに回収されてしまった感があります。
 思えば「マガジン9」の前身である「マガジン9条」が立ち上がったのは、2005年3月1日。時の首相は小泉純一郎氏。イラクに自衛隊が派遣され、イラク人質事件をめぐる自己責任論が巻き上がるなど、憲法改正への動きや世の中がどんどん右傾化していくことを警戒して、「9条の理念を啓蒙すること」を軸としたオピニオン webマガジンを作ろうと、有志らが集まり立ち上げたという経緯があります。
 その後、2006年に安倍内閣が誕生し、教育基本法の改正や靖国神社の国営化問題などいっきに、右傾化へと舵が切られた感がありました。そのときの状況は、高橋哲哉さんインタビュー「安倍首相は、小泉元首相よりもさらに踏み込んだ形でやってくる」(2006/10/25)を読むとよくわかります。
 しかしそれらの空気は、安倍さんの体調不良と突然の辞任によって、尻切れトンボのような形で終息していきました。そして民主党による政権交代。鳩山由紀夫氏が掲げた「友愛」という言葉に、なんとなくほっと安堵したのを覚えています。
 あれから3年。私たちは再び安倍さんを首相にしてしまいました。前回よりも世の中はさらに右傾化しているように思います。というよりも、私たちが「右傾化」だと感じているこの空気は、民主党政権の時にあっても、ずっと消えることなくあり、今や日本社会のベースになっているのではないか、とさえ思うのです。
 となると、我々は6年もの間、いったい何をしてきたんだろう、との無力感にもさいなまれます。
 さて2013年、どういう戦略でいくべきなのか。何ができるのか。悩みながら新しい年を迎えたいと思っています。

 2012年度もたくさんの方にカンパのご支援をいただきました。報告はこちら。敗北感はありますが、ここで止めるわけにはいかない、とも強く思っています。それは「9条の理念がやはり大事」だと私自身が信じているからです(しかし今後は「9条の理念は大事でない。自国の平和や安泰のためには 軍事は必要である」と信じている人たちの話も、聞く機会を持ちたいと思っていますが)。
 どうかマガジン9のそんな活動を支えてください。よろしくお願いします!!! 2013年もご支援ください。

(水島さつき)

'12.12.19

VOL.384

仲間をつくろう

 毎週末、娘の所属する地元サッカークラブの練習や遠征に同行してずいぶんと月日が経ちました。私のこれまでの人付き合いが学校時代の友だちや仕事関係の知人などに限られていたせいか、当初は近所のお父さん、お母さんとうまく接することができず困りました。仲良くしたいと思うあまり、かえって挙動不審な態度をとってしまったりとか。でも、いまではすっかり馴染み、サッカー少女たちも自分の姪っ子のようで(子供たちから見れば、普段は地味だけど、お酒飲むとぺらぺら話し始める変なオヤジみたいですが)、地域密着型のスポーツのよさを感じる余裕ももてるようになりました。

 とはいえ、いまも隣近所の付き合いが希薄な私は、子供のスポーツクラブを通して、地域とかろうじて首の皮一枚つながっているというのが現実です。

 その性格は違いますが、マガジン9も私にとっては社会との回路をつなげてくれる大事な「場」です。編集メンバーの出自や仕事は様々。「世の中、なんだかきな臭くなっていてるよね」という危機感を共有しているという一点でメンバーが集まるマガジン9に出入りさせてもらっているおかげで、新しい出会いにも恵まれました。

 人の属するコミュニティは時代とともに変化していきます。一次産業(農林水産業)が経済の中心を担っていたころは地縁・血縁で人々はつながっていました。産業構造が二次産業(製造業)、三次産業(サービス業)へと、その比重をシフトしていくにつれ、会社の存在感が増していき、高度経済成長時代には疑似家族のような役割さえ果たしました。

 しかしながら「終身雇用」や「年功序列」といった日本的経営がバブル崩壊後、徐々に崩れていき、非正規雇用の割合が拡大していくにつれ、会社が人々をつなげる集団とはならなくなります。ならば、これからは違う者同士がお互いに支え合っていける社会をつくっていこうとなるべきところ、むき出しのまま世の中に放り出された個々人の不安を解消する役割をナショナリズムが担っているように見えます。

 しかし、ナショナリズムは人々を国民として団結させる反面、異質なものは排除する方向へと進み、構成員に対しては国家への忠誠を強要しがちです。とりわけ21世紀に入った国家は、国民に自助努力や自己責任を求めます。

 そんな上からの流れに翻弄されないよう、私は仲間をつくっていたい、人との出会いを大切にしたいと思います。先の衆議院選挙における民主党の惨敗で、「新しい公共」という考え方はすっかり廃れてしまった感がありますが、これからますます必要になるだろうと実感しているこの頃です。

(芳地隆之)

'12.12.12

VOL.383

平和国家と呼ばれてきたけれど

 「安倍さん、国防軍を作るっていっているけど、政治は今どうなっちゃってるの?」
 先日、昔の仕事仲間との忘年会に出た際、私に聞かれた言葉です。彼女たちは、脱原発集会やデモにも行かない、いわゆるノンポリ。食事会でもファッションや旅行、美味しいもの、の話題がいつもメイン。私もあえてここでは社会的な話題は出さずに、リラックスした雰囲気を楽しむことにしていたのですが、この夜は彼女らの方から「日本で国防軍なんてありえないでしょ。戦争? 徴兵? もう何言ってるのって感じ! そんな人はさっさと退場して欲しい」と、安倍さんらの"公約"にはとても同意できない、と語り始めたのです。

 いわゆるバブル世代の私も、数年前までは絵に描いたような「ノンポリ」でした。2003年のイラク戦争反対デモにも参加していません。そのぐらい政治事情に疎かった私が、「これはおかしいのでは?」と思ったきっかけは「自衛隊のイラク派遣」がきっかけとなった「イラク人質事件」。それをめぐる当時の小泉首相の発言でした。「自衛隊は撤収しない。テロには屈しない」。
 テレビ画面で見た小泉さんのその言葉に、強烈な違和感を覚えました。「日本は憲法9条があるから、他国との戦争とは無縁の平和な国」という、安心感に包まれて育った私にとって、その発言と振る舞いは大きなショックであり、目を見開かされた瞬間でした。それから情報を自分で調べるようになり、「マガジン9(当時はマガジン9条)」と出会うことになるのです。

 領土問題を巡っては、ネットの中でも勇ましい声がよく聞かれますが、ほとんどの日本人は、憲法9条のことをあえて持ちださなくても、「戦争のない平和国家」を維持していくことを望んでいるはずです。「戦争するぞ、と他国をおどかして外交する」石原慎太郎・日本維新の会代表のようなリーダーを欲しているとはとても思えないのです。

 世論調査によると、まだ投票先を決めていないいわゆる「無党派層」の人たちが、4割ほどいます。そして投票率から考えると、選挙には行かないという人たちも、4割ほどいます。普段は政治の話をしない人たちが、「国防軍はいやだ」と語り始めたことに私は期待をしています。

 日本は今、「平和国家という看板を下ろすかどうか」というかなり大事な局面にさしかかっていると感じています。選挙まであと4日。いつもは選挙に行かない人も今回は自ら動いて欲しい。残りわずかですが、呼びかけたいと思っています。

(水島さつき)

'12.12.05

VOL.382

地域主権を拒むものは何か

 生産者の顔が見える安全で安心な食べ物を、という農産物の地産地消の考えはこの間、ずいぶんと広がってきたように思います。

 日々の生活になくてはならないエネルギーも同じ。遠くの原子力発電所から長い送電線を通して運ばれてくる電力よりも、近くでつくられたものを使いたい。原発による電力の供給という構造自体には常に安全・安心の問題が付きまとう。だから、エネルギーだって地産地消しようというのが今週の「マガ9レビュー」で紹介する『自然エネルギー革命を始めよう』という書籍の趣旨です。

 食料とエネルギー。この2つを自前で調達できれば、お金がなくても、何とか生きていけます。サバイバルのための潜在能力は地方の方が高い。いわゆる田舎に暮らす人は「ここには何にもない」と謙遜しますが、本当に何もないのは、食料とエネルギーを外部からもってこなければならない都会の方です。

 都市での生活が、いかに脆弱な基盤の上に成り立っているかを、私たちは3・11後の東京の大混乱で痛感させられました。都市の人間はもっと謙虚になるべきだと思います。自分たちで食べるものも、自分たちが使うエネルギーもつくれないのであれば、「MOTTAINAI」精神による生活を実践してみる。11月29日に公示された都知事選では、そうした視点から立候補者の考えを聞いてみたいと思います。

 中央から地方への権限の委譲や消費税の地方税化など、地域主権のための政策はいろいろあるでしょう。でも、地域がエネルギーを自前でつくれるようになれば、中央への依存度は大きく軽減されるのではないでしょうか。地域のなかでお金が回り、雇用を生みだせば、人の流れも変わります。

 12月4日に公示された衆議院選挙では、原発をどうするかとともに、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加の是非が争点にされています。農産物が他の耐久消費財と同じく扱われる可能性があることから、私はTPPへの参加には懐疑的です。TPPは地域を囲い込むブロック経済圏化のように見える。本来的な意味での自由貿易の考えに反すると思えるのです。これでは何のためにWTO(世界貿易機関)が存在するのかがわかりません。

 衆議院選を控えた各党党首からは、日本を強くするとか、国家を守るといった勇ましい主張も聞かれますが、上記のテーマを無視したところに、国を、国民を守るための本当の議論は起こらないでしょう。そこのところをしっかり見極めたいと思います。

(芳地隆之)

'12.11.28

VOL.381

衆院選で示したい私たちの意志

 「こんなにも右傾化してしまって・・・選挙後、日本は暗黒の4年間を過ごすことになる」と元外交官の孫崎享さん。

 「国民の多くは中道リベラルをのぞんでいるはず。それなのに受け皿がない」と元農相の山田正彦さん。

 彼らの言葉に同意しつつため息をついていた先週でしたが、ここにきて希望が見えてきました。すでにマスコミでも大きく報道され、今週の「お散歩日記」でも取り上げていますが、「卒原発」を掲げる新党「日本未来の党」が27日に結成表明されました。
 代表の嘉田由紀子滋賀県知事が記者会見したその日のうちに、「脱原発」「反TPP」を政策とする小沢一郎氏率いる「生活」や、前述の山田氏が共同代表を務める「脱原発」などが次々と合流を表明。「みどりの風」所属の衆院議員らや社民党を離党した阿部知子氏らも加わる予定で、「前衆院の国会議員の数から言えば61人という、現段階では民主党、自民党に継ぐ勢力になった」と今朝の新聞は伝えています。結集の黒幕は小沢氏? という揶揄もはや飛び交っていますが、脱原発を掲げる小政党が結集して、国会内に影響力の大きい勢力が作られることは、大歓迎です。受け皿が間に合ってほっとした、というのが正直な感想です。

 今回の選挙において、もう一つの重要な私たちの役目は、自民党や日本維新の会が公約で掲げる「集団的自衛権の行使」や「自衛隊を国防軍にする」「核シミュレーション」などをやろうとする勢力を国会内に作らせないということです。「憲法改正」を政策に入れている党は、自民党や維新の会以外にもあるでしょう。しかし安倍晋三自民党総裁や石原慎太郎維新の会代表らの9条改憲へと向かう、その背景にある思想は、他に比べ飛び抜けて危険です。

 「脱原発」を実現できる勢力を国会に送り込むこと、そしてタカ派的で復古主義的な憲法改正をしようとする勢力を落選させること。この二つを今度の衆院選で主権者としての権利、「投票」によって示したいと思っています。

 脱原発へと舵を切り、右傾化への歯止めをかける。私たちの意志としてそれをはっきりと示すことができたら、日本の未来に一筋の光が差してくるのではないでしょうか。

(水島さつき)

'12.11.21

VOL.380

「維新」よりも前の時代を目指しては?

 2カ月ほど前の敬老の日、総務省は「統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)-『敬老の日』にちなんで-」を発表しました。それによると、同日時点の推計人口で、65才以上の高齢者人口は3074万人と過去最多を記録。1947~1949年生まれのいわゆる「団塊の世代」のうち、1947年生まれが65才に達しはじめたことで前年比102万人の大幅増となり、3000万人を突破したとのことです。一方、0~64才の人口は前年に比べ128万人減少し、日本の総人口1億2753万人に占める高齢者の割合は、24・1%(前年比0・8%増)とこれもまた過去最高を更新しました。

 つまり今の日本は、4人に1人が高齢者ということです。来年、再来年も団塊の世代の高齢者入りが続くので、それが「3人に1人」になるのも遠い未来のことではないでしょう。いわゆる「限界集落」の定義「65歳以上の高齢者が人口比率で住民の50%を超えた集落」に従えば、日本全体が「限界集落」化しているといえるのかもしれません。

 世界の先頭を切って少子高齢化に進んでいるというのが私たちの社会です。大都市で生活している人には実感しづらく、少子高齢化や過疎化の問題は「田舎の話」と思うかもしれません。でも、首都圏郊外に目を転じれば、かつてのニュータウンが、いまではお年寄りばかりになっているところも少なくありません。むしろ首都圏は人口規模が大きいだけに、それらが急激に進む可能性もあります。

 女性が働きながら子供を産み育てられる労働環境や法整備は整っていないし、デフレにも関わらず住宅費や教育費は極めて高く、若い世代の正規労働者の比率は下がる一方です。こうした状況で、子供を産み、育てようというのが無理な話。

 来る選挙で、日本という国の根幹にかかわる問題を真剣に取り上げようとする政党は出てくるのでしょうか? そうした問題意識を持ち合わせないまま、「日本を強くする」云々と勇ましいことを言う立候補者は眉唾ものです。たぶん、そういう人は、本当の意味で日本の足腰を鍛える政策をもっていないでしょうし、借金が嵩んでこの国が経済的に破たんしたころは、すでに政界から引退して、悠々自適な生活を送っているかもしれません。

 おじいちゃん、おばあちゃんが増えていく社会では、お互いの助け合いが不可欠です。日本を持続可能な国にしていくには、どうしたらいいのか。私は、誰もがものを大切に最後まで使いつくし、武士階級は「君臨すれども統治せず」で、町人は自分たちの商売に勤しみ、浮世絵をはじめ世界が注目する文化が花開いた江戸時代がひとつのロールモデルになるのではないかと思います。近代国家建設のため、強引に地方を「日本」へと組み込んでいった「維新」以前の日本を見直すのも悪くないと思うのです。

(芳地隆之)

'12.11.14

VOL.379

相手を変えたければ、まず自分が変われ

 とは、私の母が常々言っていたことです。自分のことは自分でやり、あまり人に頼らなかった彼女は、やるべきことをやらない者、今なすべきことを後回しにする者にはときに厳しく叱咤激励しました。ところが相手は生来の体質からなかなか実行に移さない(移せない)。すると母の方は「自分は相手のことを真剣に考えて言っているのに」とイライラを募らせたり、落ち込んだりする。

 そうした経験を重ねたことで、彼女は上記のような境地(?)に達したのでしょう。こちらに理があるとはいえ、相手に変化を求めるのであれば、自分もそれなりに態度を改めなければならないと考えたらしい。相手に対する説得力は自らが範を示すことで生まれる、と。

 衆議院の解散・総選挙がいつ行われるのか、マスメディアは連日大騒ぎです。でも私はあまり関心がありません。その日が決定すると、たくさんの候補者の「日本を変えるッ!」の連呼を聞かされて、うんざりすると思うから(しかも「一票の格差」の問題は解決されていないというのに)。

 「変える」と叫ぶ当人自身から「チェンジ」を感じられないのです。「決められる政治」とか「力強い成長」とか「日米同盟の深化」とか、手垢のついた言葉で、日本を変えるといわれても、3・11を経験したにもかかわらず原発再稼働を訴える人たちの「変わらなさ」の方が際立ってしまう。

 私の父は、何か問題が生じた時、適切な手を打てないのであれば、とりあえず「先送りせよ」というのが持論の人です。焦って物事を解決しようとすると、ろくなことがない。ならばそのまま置いておく。そうすればいずれ解決策が見つかるかもしれないと言うのです。ちなみにこれは男女関係に汎用可能と思いました。2人の仲がこじれてしまったら、それを取り繕おうと慌てて動くよりも、深呼吸のひとつでもして、静かに時間をかけた方が長い目で見てうまくいくこともある。

 とここまで書いていたら、「野田首相が年内の衆議院選挙実施の意向を述べた」とのニュースが伝えられました。選挙の「先送り」批判に耐えきれなくなったのでしょうか。「国民に信を問うて、決められない政治に終止符を打つべし」といった新聞論調が躍りそうですが、世の中見ていると、政治が余計なことをしない方が物事は回っていくこともある気がします。たとえば原発。大飯原発を再稼働させなくても、国民(企業も含めて)の省エネのための知恵と能力で十分乗り切れただろうことは容易に想像ができます。

 問題の先送りが必ずしも悪いことだとは思えません。

 冒頭に話を戻せば、母は父の問題先送り体質が気に入らなかったようです。確かに家族のなかでこれをやられるとたくさん支障が生じます。その体質を変えるために、母はまず自分を変えたのか、それによって父が変わったのか。それは定かではありませんが、生活はとりあえず回っているようです。

(芳地隆之)

'12.11.07

VOL.378

会社を支える、人を応援する

 11月1日に東京ドームで開かれた「"よい仕事おこし"フェア」の会場で「城南信用金庫様、貴重な機会を与えて頂き、ありがとうございます」という小さな横断幕を見かけました。(株)ツガネマシーンのブースでした。この会社は、鉄と非鉄金属を選別するコンベアラインなど、リサイクルを全自動で行う破砕機の設計・製造・販売の他、マシニングセンターや汎用旋盤などを使って部品一個のオーダーも受けているそうです。素晴らしい技術の数々、しかも従業員は6名。この小さな会社のもつ大きな価値を広く知らしめるべく、城南信金が出展を呼びかけたのでしょう。そんな中小企業が当日450社以上集まりました(ちなみにマガジン9もOurPlanet-TVさんのブースの一画を借りて、リーフレット配布などを行いました)。

 会場で配られたパンフレットには「開催にあたって」として、こんな文章が寄せられています。

 「日本は、円高デフレの進行や産業の空洞化、そして『お金がすべて』という考えの蔓延、モラルの崩壊等、政治、経済、社会等のあらゆる面で難題が山積みされ、加えて東日本大震災や福島第一原子力発電所の事故等、まさに危機的な状況に陥っています。こうした状況を打破するためには、各企業が、『自分たちの国や社会をよくすることこそ我々に与えられた最大の使命だ』という高い志、理想と勇気を持って立ち上がり、力を合せて問題を解決することで、日本再生への道を切り拓くよう積極果敢に行動することが必要なのではないでしょうか?」

 会場中央に設置されたタワーには東日本大震災に見舞われた子供たちの書が掛けられ、被災地からも多くの企業が出展した見本市には63の信用金庫が共催団体として名を連ねています。ブースの近くでは信金職員が来場者に声をかけていました。地元企業が提供する商品やサービスの意義を見出し、ときに経営へ厳しい注文を出しながら、地域経済発展のために歩んでいる方々です。ちなみに「"よい仕事おこし"フェア」開催を呼び掛けた吉原毅・理事長率いる城南信金の職員の多くが会場で案内役を担っておられました。各支店は最小限度の人数で切り盛りしたそうです。

 社会のために役立ちたいという思いでモノづくりやサービスの提供に励んできた中小企業の方々の笑顔と、黒子に徹して地元企業を支えてきた信金職員の実直な姿勢に接していたら、ちょっと涙腺が緩くなりました。

 支え合いとは、1対1の関係だけではなくて、誰かに助けられた人が他の誰かに手を貸していくという風に、人やモノ、サービスを通して世の中を循環していくものなのでしょう。それが本来のビジネスだと思います。会場をせっせと歩き回ってからドームを出ると、東京の風景が少し違って見えました。上っ面だけ見ていてもわからないことが世の中にはたくさんある、という当たり前のことを教えてもらった1日でした。

(芳地隆之)

'12.10.31

VOL.377

変幻自在な「私」をこしらえよう

 ウイーク・タイズ。今月9日に開かれたマガ9学校「希望は、商店街! 札幌カフェ・ハチャムの挑戦と社会的包摂」の講師、中島岳志さんが語った言葉です。「緩やかなつながり」と訳せばいいでしょうか、中島さんは「斜めの関係」という表現も使っていました。

 たとえば家族や地域、学校、職場における人間関係は、親と子、先生と生徒、上司と部下といった縦の関係と、夫婦、住民同士、生徒間、同僚という横の関係で成り立っています。それらは密な結びつきゆえ、ストロング・タイズといい、主従関係が必要以上に強くなったり、外部に対して閉鎖的かつ内部の異端を排除する方向に働いたりすることがあります。

 一方、ウイーク・タイズは、たとえば趣味のサークルやボランティアグル—プなど、それを構成する人々が束縛から自由につながっている状態のことを指します。つまり縦でもなく、横でもない、斜めの関係。これがあると人は生きやすくなる、そして斜めの関係をつくれる場所としての商店街には可能性がある、というのが中島さんの話の趣旨でした。

 ○○家の私、○○校(出身)の私、○○会社の私など、人はそれぞれにいくつかの帰属意識をもっています。それらは、いわゆるストロング・タイズですが、核家族化、教育機会の不平等、年功序列や終身雇用制の形骸化などにより、「ストロング」でなくなりつつあります。かといって地域とのつながりは希薄なまま、趣味嗜好を同じくする仲間をもてないとなると、人はどこに帰属を求めればいいのか。

 こういうときに前面に出てくるのが「○○国の私」です。ときにそれは「私」に愛国心というかたちで誇りを与えてくれるし、目に見えない一体感も味わわせてくれる。

 「私」が国へと収斂されていくと、ナショナリズムは熱を帯びていきます。中島さんが、個人が国家や行政と直接向き合わずにすむよう、その間でクッション役を果たすソーシャル・キャピタル(社会的資本)の必要性を強調する所以ですが、私は、取り急ぎいろいろな「私」を自分のなかにこしらえておくことから始めてはどうかと思いました。

 自分の属する場所としてならば、「○○町民の私」や「○○地方に住む私」という意識。それを広げれば「日本国民の私」となるけれども、さらに飛躍すれば「東アジア人としての私」や「アジアの私」にもなれる。そして「コスモポリタン(世界市民)の私」にまで達することができれば、最大マクロの「私」は「○○という名の私」という一個人の「私」と共鳴するでしょう。

 確固たる「私」なんていない、「私」は変幻自在なものだと考えてみませんか。そうすれば、世の中のあちこちに自分の居場所を見つけられるかもしれません。

(芳地隆之)

'12.10.24

VOL.376

「早期の解散・総選挙」を要求したところで・・・

 今週になって、マスメディアはこぞって「解散総選挙はいつになる?」と書き立てています。日曜日のテレビ番組で前原誠司国家戦略担当相が「年内解散はある。野田首相が近いうち、といったのはそういうことだ」と言ったことが大きく報じられたり、ちょっとネット検索すれば、しんぶん赤旗から産経新聞まで、「すみやかな解散・総選挙を」といった記事を立場は違えど掲載しています。

 結局は相も変わらずの政局論争。しかしこれらの記事や政治家の発言を聞いていて、素朴な疑問として「今の選挙制度(選挙区分け)のまま、また選挙やるの?」と思うのです。
 つい先週の「2009年参院選の〈一票格差〉最高裁判決」で、「投票価値の著しい不平等。憲法違反の状態である」と最高裁が断じたわけですし、今の選挙制度のまま選挙をしても、さらなる「憲法違反のまま選出された議員」による、正当性をもたない国会を作ってしまうだけなのです(このあたりの詳しい解説については、来週より伊藤真さんのインタビューにて紹介する予定です)。ですから、強引に選挙をやったところで、次は選挙無効の判断が出される可能性も大きいのです。

 29日から始まる臨時国会で、速やかに選挙制度改革を進めるつもりなのか、どうなのか。念のために書いておくと、民主、自民両党が提出した参院の選挙区定数を「4増4減」する公職選挙法改正案(現在、継続審議中)についても、最高裁はばっさりと「これでは不平等は解消できません」とダメ出ししています。

 司法の力が弱まり、司法のブレーキがきかなくなった社会。これほど怖いものはないと思うのです。「一人一票」の問題に関心がないとしても、司法のトップレベルの判断を無視したまま、国会をはじめとする国の統治機構が動いていくことは、相当におかしいことだと、多くの市民が危機感を持つべきではないでしょうか。そしてこれを正していくことができるのは、やはり主権者である私たちでしかないのでは? と思うのです。

(水島さつき)

'12.10.17

VOL.375

最高裁判決を受けて、政治はどう動くのか?

 2010年7月の参議院選挙をめぐり、選挙区ごとに最大で5倍の格差があったことについて、「マガ9」でもお馴染みの伊藤真さんら弁護士グループが「選挙の平等を保障した憲法に違反する」と主張し、この選挙の無効を訴えてきましたが、本日(10月17日)最高裁大法廷にて、判決が出されます。すでに各地の高裁では、「憲法違反である」「違憲状態である」という判決が出されているので、それを受けての最高裁判決も、「違憲状態ではある。しかし選挙のやりなおしまでは求めない」となることが予想されています。

 なぜこの裁判が重要なのか。そして「一人一票の価値実現の重要性」については、これまでに何度も、伊藤先生の連載コラム内で、詳しく紹介してきましたが、その中でも私が最もインパクトを受けた先生の指摘を、ここに引用します。

*****

 一票の価値つまり政治に対する影響力が住んでいる地域によって異なってもよいという考えは、私にとってはとうてい許すことはできないものであり、人種差別と同じくらいの大問題です。

 なぜなら、政治的価値において平等ということは、その人の人格価値に基づくからです。ある人の政治的意見が別の人の政治的意見よりも価値があるから優遇するということは、人間の人格価値における絶対平等に反します。

 人間は誰もが違います。ですが、人間としての人格価値(この世の存在すること自体の価値といってもよいでしょう)は絶対に平等なのであって、そこに差を設けることは許されないと考えます。個人がどう思おうと勝手ですが、国家がその価値を判断して差別することがあってはならないということです。

(伊藤真のけんぽう手習い塾 リターンズ/「一人一票」は、民主主義国家の基本 より

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 この前提となる考えは、憲法13条が規定する「すべて国民は、個人として尊重される」。すなわち「個人の尊重・尊厳」であり「人は人間である以上、だれもが皆同じ価値を持っている」ということ。先生が繰り返し強調されることです。

 最高裁判決を国会が「スルーしている」という大問題については、南部義典さんの「立憲主義の道しるべ」において、書いてもらう予定です。いずれにしても、民主主義と立憲主義が危機的状況にある、ということに、私たちはもっと自覚的になりたいと思います。ということでこれから最高裁傍聴に行ってきます!

(水島さつき)

'12.10.10

VOL.374

世界の首脳の半分が女性だったら

 先般、ある経営者とお話をした際、彼は、社会のニーズを捉えるのは女性の方が優れていると語っていました。男性優位社会で生きざるをえない彼女たちは、自分たちに必ずしもフレンドリーではない環境を否が応でも意識せざるをえなかった。社会の中心に立つ機会の少なかった女性は、周辺から世の中を見ることに慣れているので、社会が求めているものをキャッチする能力に長けているというのです。

 この話を聞いたとき、私は海外生活への対応力についても男女差があるのではないかと思いました。男性に比べて相手の立場を慮る傾向の強い女性の方が異文化にも溶け込みやすいのではないかと。

 自国では自己評価が低くなりがちな彼女たちは、ニュートラルでいられる外国で自分を解放する機会を得る。しかもそこでは自分の考えをきちんと主張しなければならない。だから自然と彼女たちの立ち居振る舞いは堂々としてくる。

 一方、男性はどうでしょう? 自らが男性優位社会で生きてきたので、異文化での摩擦に対する免疫が女性よりも少ないのではないでしょうか。

 尖閣諸島や竹島を巡る日中、日韓間の対立において、各国の男性政治家が「毅然たる態度」とか「一歩も引かない」と繰り返しているのを聞くにつけ、その強気の姿勢が自分たちの選択肢を狭めているように思えてなりません。

 仮に毅然とした態度をとりうるとすれば、それは相手の考え方や心情を理解している人の方ではないか。互いが相手の文化や立場を心得ていることがわかることで、両者は同じ土俵に上がれます。闘いのルールをわきまえていれば、きつい言葉の応酬になっても、それが喧嘩(戦争)になることはありません。

 冒頭の経営者は、社会のニーズに敏感に対応できる女性たちにこれまで欠けていたのは、リーダーとなる機会だったと言います。彼女たちが社会の様々な組織において指導的な立場につくことで、世の中は変わっていくだろうとも。

 外交において相手国の首脳と膝を突き合わせて粘り強く議論する、そうした胆力をもっているのも、女性の方かもしれません。

 各国の首脳が一同に集う場所で、そこに列席する半分が女性だったら。そんな光景を想像すると何かが変わる予感がしないでしょうか。

(芳地隆之)

'12.10.3

VOL.373

むかし東亜同文書院という学校があった

 1901(明治34)年、上海に東亜同文書院という学校が設立されました。中国のエキスパートの養成を目的とした外務省所轄の高等教育機関です。東亜同文書院は、日清戦争の勝利で日本人のなかに中国人を蔑視する傾向が強まるなか、商業や文化の交流を通して、日中、さらには朝鮮半島も含めた東アジアに平和を確立させようとの理念をもっていました。

 創設者の一人は陸軍少佐として日清戦争に従軍した根津一です。彼は、中国を救わなければ日本も危うくなる、そのためにも欧米の侵略から中国を守らなければならないという持論を説きました。そこには日本が中国を指導する立場にあるといった意識が生じやすく、中国側から見ればときに傲慢な態度に映りました。日中関係が悪化していった1937(昭和12)年、日本の軍国主義者たちの尖兵とみなされた東亜同文書院の校舎の一つが中国軍によって火が放たれ、建物とともに8万5000冊の書籍が灰となったこともあります。その一方で日本側から「対中協力者」を養成する教育機関と疑われることもありました。偏狭なナショナリズムとは相容れない存在だったのでしょう。

 日本が敗戦を迎え、閉校となった1945(昭和20)年までに東亜同文書院を卒業した学生は5000人超。そのなかには、戦時中、日中戦争の不拡大の方針を進めようとして外務省を追われた元外務省東亜局長の石射猪太郎のような人物もいます。石射の後輩に当たる山本熊一は戦時中、外務次官を務めていたことで、戦後は公職追放されましたが、それが解除されてからは日本国際貿易促進協会の会長として、国交が樹立されていない中国との経済交流に尽力しました。こうした民間交流が1972年の日中国交正常化の下地をつくっていったのです。

 1930年代後半に東亜同文書院で学んだ元丸紅社長、春名和雄は戦後50年間に及ぶ日中貿易を振り返り、次のように述べています。

 「日本人は小異を捨てて大同につくことをよしとしがちですが、中国人は、違う部分は違うものとして認め、同じ点を求め一緒に歩もうという考え方です。……中国人は『あなたはそう思いますか。それなら一緒にやれるものは何かを考えましょう』と言ってくるんです。この考え方は他のアジア諸国と付き合うときも必要になってくるでしょうし、今後大切な考え方になってくるのではないでしょうか」(西所正道著『「上海東亜同文書院」風雲録』より)

 先人たちが積み上げてきた交流の歴史や経済関係の深化を思えば、尖閣諸島の領有権を巡って「毅然とした態度をとる」などという表現は使えないはずです。東亜同文書院が設立されてから111年。アジアとの共存という考えが日本で萌芽してから、まだ1世紀余りしか経っていないとも言えます。私たちが本気でアジアと向き合う時代はこれからです。

(芳地隆之)

'12.9.26

VOL.372

私たちのとるべき道は? 尖閣をめぐる問題について

 尖閣諸島をめぐる日中関係の緊張が続いています。ニュースによると中国だけでなく、台湾の漁船団が大量に押し寄せ、領海域に進入し日本の海上保安庁の巡視船と台湾の巡視船が放水しあうという、ショッキングな映像までも流れています。こんな事態になることを、いったいどれだけの人が予想していたでしょうか?
 実際、テレビのコメンテーターは「親日と言われていた台湾がこのような行動に出たことは意外だった」と言っていましたが、多くの日本人が同じような感想を持ったことでしょう。

 「尖閣諸島の問題を考える時、この島は日本固有の領土であって、それをしっかり確保する道をいくべきか。それとも、日中双方の争いの対象になっている島だから、今後紛争にならないように努力をしていくべきか。今、日本は二つの大きな分かれ道にあるわけです」と孫崎享さんはおっしゃいます。
 元外交官、国際情報局長も務め、『戦後史の正体』の著書がある孫崎さんは、「今、大多数の国民は、これは日本固有の領土であって、国際的に何の問題もなく、そこに中国がいちゃもんをつけてきている。だからそこはしっかりと主張をするべきだと考えていますね。領土問題には、みんなとても関心がある。しかし、その土台となっているものについては、ほとんど知られていません。一番大事なことは、日本は終戦後『ポツダム宣言』を受諾しているということなんです」。そういって、分厚い百科事典のような『日本外交文書』(外務省編纂)を開き、その一節を見せてくれました。そこには以下の文言があります。
 〈八、「カイロ」宣言の条項は履行されるべきものとし、日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに、われわれの決定するいくつかの小島に限定される。」(ポツダム宣言 米、英、華三国宣言 1945年7月26日)〉
 「カイロ」宣言とは? われわれ(連合国)の決定するいくつかの小島とは?
 これについて、事実関係などを調べていくと、尖閣諸島のことを「日本固有の領土である」とはとても大きな声で言えないのではないか、という気持ちになってくるし実際不確かなものなのです。
 だとすれば、「断固として、毅然とした態度で、粛々と守るべき」というパフォーマンスを繰り返すことがいいのか。「紛争にいかないように、知恵を出し合って努力をする」という道を進むことがいいのか? おのずと決まってくるというものです。

 「歴史上しばしば起こることであるが、一発の銃声で一気に武力と紛争になる。時に、紛争を望む側が『相手からの攻撃があった』と口実の事件をつくり、攻撃を開始する」(「日本の国境問題」 孫崎享著)
 ここで道を誤ることは、決してあってはならないことです。市民もたぶん政治家も「戦争」なんて望んでいない。でもちょっとした「メンツ」や「国内向けのパフォーマンス」が高じて、突き進んでいったのが、先の大戦ではないのでしょうか。
 折しも今日は自民党総裁選挙が行われる日。「誰が一番右よりかを決める選挙」などとも言われていますが、どなたが自民党総裁になっても、私たちは威勢のいい大きな声に流されるのではなく、しっかりと情報を選び取り、歴史を見直し、自分の頭で判断し日本の進むべき道を考えたいと思います。そして来るべき次の選挙に向けて、私たちの代表として誰に票を投じるか。その準備をしたいと思います。
 示唆にとんだ孫崎享さんの詳しいインタビューの模様は、近々にマガ9のブログ及びサイト上に紹介する予定です。

(水島さつき)

'12.9.19

VOL.371

有権者が選択肢をつくる

 自民党は野党として、この間、切磋琢磨してきたのだろうか? 自民党総裁選候補者の主張や持論を聞いていると、そんな疑問を抱かざるをえません。候補者全員が世襲議員、同党が掲げる国土強靭化計画は公共事業によるばらまきを連想させ、原発ゼロには反対で、安全保障は日米同盟の強化、と聞くものすべてが自民党の下野以前に耳にしたものばかりです。与党民主党と対峙しながら新しい日本のあり方を模索した形跡が感じられない。これでは民主党に失望した多くの有権者が「今度は自民党に政権を任せてみよう」とは素直に思えないのではないでしょうか。

 小選挙区制度による2大政党制は2009年に政権交代を実現すると同時に、選択肢のない政治をもたらしてしまった。社会を覆う閉塞感の原因は「決められない政治」にではなく「選択肢の欠如」、さらに言えば、有権者の最大公約数を支持者にしようとする政党の姿勢にあるのではないでしょうか。

 高度経済成長が続いていた時代、政府は潤沢な税収を社会のあらゆる層に分配することができました。現在、国にはお金がありません。ならば、限られた税収をどのように振り分けようと考えるかによって、その政党がどのような社会の層(大企業を優遇するのか、中間層を保護するのか、低所得者層を支えるのかなど)の利益を代表するのかが明らかになるはずです。でも大政党はそれを明言しません。あたかも国民全体が豊かになるかのようなイメージを振りまきます。

 そろそろ有権者の細かいニーズに応える政党が生まれてもいいのではないでしょうか。たとえば環境保護を重要課題に掲げる、第一次産業を重視し農林水産業の保護を第一に考える、あるいはシングルマザーの支援や夫婦別姓制度の法制化をめざす小政党が議席を確保できるような仕組みがあっていいと思うのです。

 作家・村上春樹のエッセイで、彼がジャズバーを経営していた際、10人のお客さん全員に気に入られようとするのではなく、こういうお客さんに来てほしいと思う2〜3人にリピーターになってもらう努力をしていたという話を読んだ記憶があります。国の運営と店の経営をいっしょくたにはできませんが、支持政党なしが有権者の過半を占める現状は、従来の政党が10人のお客さん全員を取り込もうとして失敗した結果なのではないでしょうか。

 既存の政党は総花的なことしか言わない。だから有権者の気持ちはもやもやとし、やがて状況を一気に打開できるような人物の登場を求めるようになってしまう。そんな悪循環を断つためには、私たち有権者が専門店的な政党を育てて選択肢を増やしていく。次の選挙がその契機になればと私は思っています。

(芳地隆之)

'12.9.12

VOL.370

恋愛と外交を同列に論じるのは気が引けるけれど

 「恋愛ってコミュニケーション能力が試されると思う」

 ある女性からこんなことを言われたことがあります。彼女のいうコミュニケーション能力は言葉だけではなく、身体的なことも含まれていたので、聞いているこちらはどぎまぎしました。

 先月、日本性教育協会が6年に1度実施している学生・生徒の性行動調査結果が新聞で報じられました。それによると、2005年には男女とも61%だった大学生の性体験率は、2011年には男子54%、女子47%に、高校生は2005年の男子27%、女子30%から、2011年には男子15%、女子24%へと下がったそうです。

 私にはこの数字に対して何らかのコメントをする資格も能力もありません。ただ、(セックスに限らず)生身の人間と向かい合う機会が減ると、言葉は表層的になっていくのではないか。その記事を読んで思いました。

 口ではイエスと言っても表情は必ずしも肯定していなかったり、相手を厳しく叱っても目は怒ってなかったりなど、発する言葉と裏腹にしぐさが本音を表すケースはよくあります。そうしたことを無視して語られる言葉は白か黒か、善か悪かと先鋭的になりがちです。

 その意味では外交も同じ。たとえば中国は面子を大切にする国だから、尖閣諸島を実効支配する代わりに、相手の顔をつぶすような言動は慎むとか、韓国には日本に支配された屈辱の歴史が拭いがたくあるのだから、竹島への韓国大統領の上陸に対しても感情を露わにすることなく釘だけは刺しておくとか。一方的な非難の応酬を避ける力が働かなければ、武力行使になってしまいます。

 こういうやり方は、たとえば昔のやくざ映画で描かれる組と組との手打ちのシーンでよく見られましたが、恋人や夫婦の間でだって、押したり引いたり、似たようなことが交わされているのではないでしょうか。常に相手の意向に沿うことも、こちらの都合に合わせることもできないのですから。

 公式の場で相手に激烈な言葉を述べながら、腹のなかでは違う計算をしている、のらりくらりと話していても、頭ではもう物事を決めている――。国際社会はときに食えない連中が国益を守るために繰り広げる化かし合いの場ともいわれます。

 恋愛も外交もややこしい。でも、せめてそのややこしさをじたばたせずに受け止める余裕はもっていたいものです。

(芳地隆之)

'12.9.5

VOL.369

そろそろ本当のことを話したらどうか?

 先月、森本敏防衛相は、米新型輸送機MV22オスプレイに試乗した結果、安全性に問題はないとして、配備が計画されている沖縄県、すでに一時駐機している岩国基地のある山口県に出向き、知事に理解を求めました。これに関するマスメディアの報道の多くは、オスプレイは安全か、安全でないかに終始していたように思えます。こうした報道ぶりを外国人が見たら、さぞ不思議に思うことでしょう。墜落事故の相次いだ米軍輸送機がどうして日本に配備されなければならないのか、という根本的な問いが欠如しているからです。

 森本防衛相が沖縄の仲井眞知事にお願いしている映像を見れば、「アメリカにオスプレイを配備すると言われたら、日本は断れない」ということは容易に想像がつきます(配備されないと日本の安全保障に多大な影響を及ぼすと考える人はまずいないでしょう)。私には、その光景が「社長に無理難題をいわれた部長が、社長には意見できないので、部下に『ここは涙を呑んでやってくれ』と頼んでいる図」のように見えました。部長(森本防衛相。もしくは日本政府)としては、社長(アメリカ)に楯突くよりも、部下(日本国民。とくに米軍基地のある自治体住民)に我慢を求める方が楽だからです(たとえそれが会社の経営を悪化させるものだとしても)。

 卑近な例しか思い浮かばず申し訳ありません。でも、これが私たちの国の置かれている現実なのではないでしょうか。だからメディアには、せめて本当のことを言ってほしい。

 あるニュースキャスターが当該報道のまとめとして、「日本政府はオスプレイの安全性をしっかり検証しなければなりません」云々と語るのを見たとき、失礼ながら「学級委員長の放課後のまとめか?」とつっこみたくなりました。もちろん「失礼ながら」はニュースキャスターに対してではなく、実際に学級委員長を務める全国の生徒の皆さんにです。

 アメリカの過度の要求に対して、日本側がその都度右往左往するような日米関係の現状を変えようという意志がない限り、日本の安全保障に関する議論は、常にどこかにごまかしを含んだものになると私は思います。

 日本政府には在日米軍のことに関する実質的な決定権がない、あるいはアメリカ政府には怖くて文句を言えない。この苦々しい現実を認識することで、少なくとも私たちの視界は良好になるはずです。

(芳地隆之)

'12.8.29

VOL.368

いまこそ日朝国交正常化交渉を

 6月27日付『朝鮮日報』(日本語訳)に「北朝鮮の人は、米国人より中国人を嫌っている」というタイトルの記事が掲載されました。ジョン・エバラード元駐朝英国大使が2006年から2年半にわたる北朝鮮での見聞や体験をまとめた著書(『Only Beautiful, Please』)の出版記念イベントについて報じたものです。

 そこでエバラード氏は、北朝鮮の人々が、最大の経済支援国である中国に対して必ずしもいい感情をもっていないことを指摘しています。「中国と北朝鮮の経済協力はますます緊密になっているが、その一方で『中国人は横柄だ』と考えるなど、北朝鮮の根深い独立意識が背景にあるようだ」。その一方、アメリカに対するそれは、国内の「あちこちに米帝国主義に対する敵対的宣伝文句が並んでいるが、一般人の米国に対する感情はそれほど敵対的ではないと感じた」。さらに「米国が実際に北朝鮮を攻撃すると考える人もそれほど多くなく、また北朝鮮の人は韓国を米国のあやつり人形だと認識していることから、韓国が北朝鮮を攻撃するとも思っていないだろう」と語っています。

 これらの指摘は、かつての東欧諸国の国民感情を思い起こさせました。当時の各国政府がソ連との友好や西側資本主義との対決姿勢を強調する一方、国民は支配者然として振る舞うロシア人に反発し、アメリカの自由や豊かさに憧れを抱いていたのです。

 「北朝鮮の一般国民はシャイで真面目。みんな豊かになろうと一生懸命働きます」

 こう語るのは中国を拠点に北朝鮮と日本との間の貿易に携わっていた日本人です。彼は「(北朝鮮のビジネスマンは)商売の障壁となるような制度があれば、そこで諦めることなく、何かいい方法がないか懸命に探す。このくらいの粘り強さをぼくたちも学ばなければいけないと思う」とも。また、「(ロシア、中国、北朝鮮が接する)この地域で商売をする際に重要な言語は中国語と朝鮮語、そして日本語、ロシア語。英語が話せたって、何の役にも立ちません」という言葉が印象的でした。

 私たちのもつ北朝鮮のイメージは、平壌での軍事パレード、巨大なスタジアムでのマスゲーム、金王朝の独裁などマイナスなものに偏りがちです。もう少し想像力を働かせてみれば、北朝鮮の違う像が見えてくるのではないでしょうか。

 拉致問題が両国の国交正常化交渉を阻んでいることは承知しています。しかし、強硬な態度一辺倒での問題解決は難しいと思うのです。

 折しも今日(8月29日)、北京で4年ぶりに日本と北朝鮮の政府間協議が行われます。主要議題は日本人の遺骨問題とのことですが、竹島や尖閣諸島をめぐる領土問題で日韓、日中関係に緊張感が高まっているなか、日朝政府間協議が両国の国交正常化交渉へとつながり、東アジアに新しい風を吹き込むことを期待してやみません。

(芳地隆之)

'12.8.22

VOL.367

次世代に委ねるとはどういうことか

 私は竹島、尖閣諸島は日本の領土だと考えています。しかし今年の6月、石原慎太郎・東京都知事が尖閣諸島を東京都が買い取ると発言したのを聞いたときには、強い違和感を覚えました。日本が実効支配しているのに、どうして中国側を挑発するようなことを言うのか(都が購入したからといって領海侵犯がなくなるとは思えません)。私は石原氏の発言に、「国益」よりも自己顕示欲を優先する姿勢を感じたのです。はたして現在、尖閣諸島に上陸した中国・香港の活動家が日本の海上保安庁・警察により逮捕、その後日本の地方議員らが同諸島に上陸して警察で事情聴取を受けるなど、事態はエスカレートしています。
 石原発言の2カ月後、韓国の李明博・大統領が竹島に上陸しました。彼のパフォーマンスは、ロンドン・オリンピックのサッカー3位決定戦で、韓国が日本に2-0で勝利した後、韓国の選手が「独島(竹島)は我々の領土」とハングル文字で書かれた手書きのボードを掲げるという、オリンピック開催中の政治的行為を禁じた五輪憲章に反する行為を誘発しました。これは韓国のイメージを損ねるものだったと思います。

 かつての中国の最高実力者、鄧小平は、尖閣諸島の帰属問題の解決は「次の世代、さらにその次の世代に委ねよう」と語り、議論の棚上げを提案したといいます。
 21世紀に入り、グローバル化がますます加速するなか、2〜3年後の政治や経済がどうなっているかを予測するのは難しい。いまは成長を謳歌している中国も、近い将来、日本とは比べものにならない規模での少子高齢化社会を迎えます。韓国では日本以上の格差社会や過酷な受験戦争が深刻な社会問題になっています。日本では経済の縮小傾向がしばらく続くでしょう。当該国の情勢の変化が、領土に関する見方に影響を与える可能性は十分あります。
 「通信や移動の手段がこれだけ発達した現在、領土という概念は国民の精神的、心理的な部分では大切かもしれませんが、経済的には重要性を失いつつあると思います」
 こう語ったのはドイツ商工会議所モスクワ事務所に勤務するドイツ人の男性でした。ドイツは第2次大戦後、飛び地であるケーニヒスブルク(現カリーニングラード)がソ連に割譲されたものの、いまでは300以上のドイツ企業が現地に進出してビジネスを展開しています。
 時代の変化を見極めながら解決策を探す。それが「次の世代に委ねる」の真意だと思います。そのために求められるのは、国際情勢を掴む鋭敏なアンテナ、100年単位の思考を可能にする深い歴史観、そして粘り強さをもった交渉力ではないでしょうか。
 日本の外交が東アジアにおける新しい時代を構築するための局面に立っている。私はそう認識しています。

(芳地隆之)

'12.8.8+15

VOL.366

67年目の夏

 「あの日、広島で原爆にあった人は、自分の身になにが起こったのか誰にもわからなかった。いつものように兵隊さんは体操をし、学生さんは学校の先生から訓示を受け、お母さんは井戸で赤ん坊のおしめを洗っていた。瞬間にぴかっと光ってどしゃっときて突然吹っ飛ばされて意識がなくなる。そのうち気がついてもうもうとホコリが立ちこめる中、だんだん目が慣れてまわりを見ると、それまであった家が一軒もない。近くに倒れている人間らしき人をみると、身体はやけどで腫れあがり顔はない。ぎょっとしたその人自身もまた、全身火傷で血だらけ。まさに瞬間にして地獄に突き落とされたのです」(被爆医師:肥田舜太郎さん)

 どうして? なぜこんなめにあって、死んでいくのか。わからなかったのは被爆者自身だけでなく被爆者をみる医者の方もでした。67年前の8月6日に広島で自らも被爆しながら、直後から被爆者を診続けてこられた医者、肥田先生は、6000人近い被爆者と関わってきました。それらの臨床の経験から、国の原爆症認定は直接被爆だけでなく入市被爆にも適用されるべきだとする裁判の参考人として証言される他、内部被ばくの健康被害についての研究や言及も多くしてきまし た。その先生が「問診票をせめて1000人でもとっていたならば・・・でも当時は混乱の中でそんな余裕はまったくなかった。それに私は一介の町医者だったから、専門の機関がちゃんとやってくれているだろうと思っていたんだよ」と悔しそうにおっしゃっていたのが心に残っていました。

 それだけに、8月6日に放映されたNHKスペシャル「黒い雨〜活(い)かされなかった被爆者調査〜」は、衝撃的な内容でした。原爆投下直後に放射性物質を大量に含む黒い雨が広い範囲にわたって降り、そして黒い雨にあたった人たちがどのような健康障害を起こしたのか、という実に13000人もの聞き取り調査のデータが存在していたというのです。調査項目には、黒い雨にあたったか否かも含まれ、そしてその後、脱毛や発熱、だるさ、下痢、などなど急性被爆症状についての問診がきちんとなされている模様でした。
 調査したのは、アメリカの研究機関ABCCで、その研究を引き継いだ放射線影響研究所(放影研)がこれまでデータを保管していたそうです。なぜ、このような重要なデータがあることをこれまで誰も明らかにしてこなかったのか? 被爆医療に役立てなかったのか? 誰もが疑問に思うその答えは、やはりアメリカ大統領アイゼンハワーが1953年に発表した核の平和利用演説にあり、放射線が人体に影響を及ぼすというデータがあってはその後のキャンペーンに都合が悪いということだったのでしょう。核の平和利用は、原発の開発と普及です。日本はまんまとその戦略にのせられて、日本列島にくまなく原発をつくり、政財界は原子力産業に乗っ取られてしまいました。福島の惨事はその結果起こったことです。

 これから60年後はどんな日本なのでしょうか? 核戦争に突入しているのか、核兵器も原発も、地球上からゼロになっているのか。まったくわかりません。しかし、「核と人類は共存できない」この当たり前のことを、伝え続けていくことが、被ばくを不幸にも経験した私たちの責任ではないでしょうか。そのためにも福島原発事故による、あらゆるデータは隠蔽やねつ造することなく、全て公開することが強く求められます。同じ過ちを繰り返したくはありません。

(水島さつき)

'12.8.1

VOL.365

本当の意味での愛国者は誰なのか

 「この国が崩壊していくのを、指をくわえて見ているわけにはいかない。政治的な立場など関係ない。原発をどうするのかが、この国の未来を決める。このところ、僕は妙に『この国の行く先』を考えてしまう。今までまったく考えたこともなかったのだが、僕は『愛国者』だったのかもしれない」

 これは『原発から見えたこの国のかたち』(鈴木耕著・リベルタ出版)の一節です。

 著者が「政治的な立場など関係ない」と記しているように、私も誰が右だとか左だといった言説にはまったく関心がありません。ただ「反原発デモを愛国者団体の街宣車が妨害する」という話を聞いて、首をかしげざるをえませんでした。日本の美しい国土、日本人が長く引き継いできた農村の共同体が原発事故で失われようとし ているとき、愛国者を自負する人々がどうしてそういう行動をとるのか、合点がいかなかったからです。

 今年の春に発表された自民党の憲法草案には、日本の歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値とか、日本人が元来有してきた道徳心といったものの大切さがうたわれています。にもかかわらず、それらを根こそぎにしかねない原発に対する同党の反応は鈍い。なかには原発に反対するデモに冷笑的な態度をとる政治家さえいます。

 想像するに、国民がお上に異議申し立てを行うこと自体が彼らの気に入らないのではないか。長きにわたる自民党政権の時代を引きずっているため、統治者の側に立って国民を見下ろすような習性が身についているのかもしれません。とすれば、彼らに日本の文化や伝統に対する敬意があるのかさえ疑わしく、それらは単に統治の道具として使われているに過ぎないのではないかと思えてきます。

 むしろ「愛国」は、いま日本各地で起こっているデモと、その後ろで思いを同じくする人々の側にある。それが3・11以前の思考で物事を捉えようとしている野田首相をはじめとする政府首脳、大手マスメディアには見えてない。彼らの目には反原発デモが単なる反政府的な行動のひとつくらいにしか映っていないのではないでしょう か。

 国民の多くは、原発再稼働の決定だけではなく、米軍のオスプレイ搬入をも容認する野田首相が国民の健康や安全に大した関心をもっていないことを知ってしまった。 野田首相は自らの政治家としての資質を問われているのです。

 彼がよく使う「待ったなし」の状況に、自分自身が追い込まれていることを自覚してほしいと思います。

(芳地隆之)

'12.7.25

VOL.364

憲法違反のオンパレードを許さないために

 菅直人前総理がその座を引きずり下ろされ、野田政権になってから10ヶ月。民主党は脱原発路線を変更し、原発再稼働や原子力基本法の改定など、さまざまなことが国民無視で進められ、これでは3・11の反省どころか、政権交代前の自民党よりも後退している、と多くの国民が現政権への不信感と不満を高めている今日この頃ですが、これらの事態は、ここにきてかねてより一部政治家、官僚や親米御用学者によって進められてきた、「日米軍事同盟の一体化・深化」がはっきりと形になってあらわれてきた、ということのようです。

 この一連の動きについては、法制化という形でも現れており、今週の「伊藤真のけんぽう手習い塾リターンズ」で、塾長が鋭く指摘されています。是非、じっくりと読んで、この状況への危機感を、みんなでシェアしたいと思います。

 それにしても…3・11から1年4ヶ月。市民ひとり1人の支え合う心や、メディアリテラシーは、確実に上がり育ってきていると思いますが、その一方でいわゆる「ショック・ドクトリン」、日本語で言えば「火事場泥棒」的事象が、次から次へと権力側から圧力をかけられ進んできていることに、大きなショックを受けています。

 最後の砦は日本国憲法であり、前文に規定されている「主権は国民に存する」しかないのではないでしょうか? ここを拠り所に、すべての人たちが立ち上がるしかないでしょう。まだ間に合います。国民の利益よりもアメリカいいなりの政治家、立憲主義も民主主義もわかっていない政治家、解釈改憲を進めようとする政治家、今度の選挙で全部落としましょう。

(水島さつき)

'12.7.18

VOL.363

面倒くさいことを楽しくこなす力

 「東日本大震災の直後、『絆』という言葉が流行りましたけど、それって要は『セーフティネット』のことじゃないかと思うんです」

 「そう、そう、『自分が困った時には誰かに助けてほしい』っていうことでしょ。人は困らないと助け合わない。つまり困るから助け合うんだけれど、経済が発展すると、困ることの中味が『食べられない』ということから、寂しさや孤独感の方に変わっていったんだよね」

 先日、(社)コミュニティネットワーク協会の近山恵子理事長に話を聞く機会がありました。少子高齢化が進み、全国各地に点在する限界集落の数が増え、年金は目減りし、介護保険は医療保険と並んで破綻の危機にある。こうした時代のなか、同協会は、開発に取り残された町や高齢化が進む地域を再生させるための提言、それを事業化するためのコーディネートなどを主たる業務にしています。

 母親の在宅介護を長く続けてきた近山理事長は、若いころから、互いの価値観を尊重しながら、気の合った人たち同士で、住みよい場所と暮らし方をつくるための活動をしてきました。

 「私にとって人生最大の喜びは、仲間とお茶を飲みながら、自分の考えや思いをざっくばらんに話し合える『場』をもつこと」

 そう彼女が言う「場」とは循環型のコミュニティなのかもしれません。

 自分たちが食べるものや使うエネルギーはなるべく自給し、足りないものは互いに融通して、文化も自らつくっていく。こう書くと、ユートピア志向の夢物語のように聞こえますが、好むと好まざるとにかかわらず、そうせざるをえない時代がくるというのが近山理事長の認識です。

 これまで私たちの国は、海外の大規模農場で収穫される農産物を安く輸入し、電力は過疎地に立てた原子力発電所によって賄う方向に進んできました。地方で文化・芸術に接する機会は大都市にくらべて限られたものでした。

 これからはその逆を行く。とはいえ、「場」をつくるのは大変な作業です。いろいろな考えの人たちと話し合い、折り合っていかなければなりません。しばしば衝突が起こり、ややこしい人間関係に悩まされることもあるでしょう。こういった生活上の面倒くさいことをしなくて済むように「発展」してきたのが私たちの社会だったわけです。

 「でもね、私は面倒くさいことが嫌いじゃないのよ。自分ひとり、勝手気ままに生きるのもいいけど、仲間とあーだこーだ言いながら暮らす方が楽しいんだよね」

 近山理事長はこう言って笑いました。面倒くさいことを楽しくこなす。お上に生殺与奪の権を握られないために、私たちが必要とするのはそんな能力かもしれません。

(芳地隆之)

'12.7.11

VOL.362

時代が変わったことを認識していないのは誰か?

 そのデモは毎週月曜日、ニコライ教会でのミサの後に行われました。はじめはほんの小さな集まりでしたが、やがて彼、彼女らの声は全国に広がり、ついには国を東西に分断する壁を崩すまでになります。

 ニコライ教会とは旧東ドイツ第2の都市、ライプツィヒにある市内最古の教会で す。ここを拠点に始まった東ドイツの民主化を求める集会は「月曜デモ」と呼ばれました。

 ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月。その約2年後にソ連邦が解体しました。その遠因となったのはチェルノブイリ原発事故後のソ連政府の対応だとの指摘があります。当時のソ連政府は被害の深刻な状況をすぐに公表せず、汚染された食品の流通を見過ごし、多くの人々を内部被ばくさせてしまいました。ソ連政府の隠ぺい体質が国民に根深い不信感を植え付けたことは想像に難くありません。

 この2つの現代史上の大事件と、現在、毎週金曜日に官邸前で行われている反原発デモはどこかで通底しているように感じます。

 私たちは3・11以降、放射能という見えない存在と否が応でも付き合い続けなければならなくなりました。東日本大震災を機に世界観が変わってしまったと言っていいでしょう。ところがこの国の為政者は3・11以前と同じ感覚で生きていこうとしている。それに対する違和感が怒りへと転化し、「金曜デモ」を突き動かしていると思うのです。

 従来の政治・経済のあり方では日本は立ち行かない。時代は変わりました。それを認識しない権力が衰退していくのは歴史が示すとおりです。私たちの国が東ドイツやソ連邦のように消滅したり解体したりすることはないでしょうが、国民の多くは、為政者たちを税金で雇うに足る仕事をする人々なのか、と疑問の目を向けている。消費増税に対する反発は、税率アップ自体よりも、その政策を実行する人たちに対する不信感から来ているのだと思います。

 国家100年の大計を考える為政者であれば、いま自分たちの置かれた状況に強烈な危機感を覚えるはず。時代の変化に気がつかない政治家は立ち去るしかありません。

(芳地隆之)

'12.7.4

VOL.361

原発再稼働とオスプレイ配備

 山口県、岩国市、沖縄県、いずれの自治体も首長が断固受け入れを反対しているというのに、MV22オスプレイ12機を載せた輸送船が、アメリカ本土の港から出港し、予定では24日には岩国入りをするそうです。その報告を米政府から受けたと、3日に森本敏大臣が記者会見で話しました。オスプレイがどれだけ不完全なものであるのかは、「未亡人製造機」という恐ろしい別名からもわかりますが、今年に入ってからもモロッコとフロリダで相次ぐ墜落事故を起こしていることは、誰もが知るところです。
 それなのになぜ事故原因の究明がされないまま、これほどにも強引に配備させようとするのでしょうか? まったく理解ができませんが、以前より相当な親米派と言われていた森本氏を突然防衛大臣に「抜擢」したのは、もちろん野田首相です。

 ところで先週末、「原発の再稼働は、大飯原発の次は伊方の3号機になるのではないか」という心配もあり、私は伊方町の隣接自治体である八幡浜市で、30年以上反対運動をしてきた近藤誠さんに、今の状況などについてお話を伺ってきました。その中で、私がまったく知らなくて申し訳なかったある話がありました。それは、1988年6月25日に、沖縄普天間飛行場所属の米軍の大型ヘリが、岩国の米軍基地から飛び立ち、訓練飛行をしながら普天間基地にもどる途中で、伊方原発の間近の山中に墜落した大事故について。原発からの距離、なんと約800メートル。ヘリはスクラップのようにぐしゃぐしゃになり、乗員7人が全員死亡です。当時の地元新聞も「ミカン畑が黒焦げ」との見出しをつけて大きく報じていました。

 88年といえばチェルノブイリ事故の後、「出力調整実験」をめぐって、伊方原発を中心にした大きな反原発運動が巻き起こっていた年でもありました。当然、近隣の住民だけでなく全国から反対の声は寄せられたそうです。しかし電力会社や国は「原発は飛行機が墜落しても安全だ。それに墜落事故の確率は2000万年に一度だ」と言い放ったというのだから、まるでどこかで聞いたような台詞です。そして今、原発は、直接に被害を受けなくても、原発に外部電源を供給する送電線の鉄塔が倒壊したら、たちまち危機的な状況に陥ることは、誰もが福島の事故で学んだことです。

 米軍機ということで、墜落後の検証についても、日米安保条約の壁が立ちはだかったという、まさに今の状況と相似形であり、これから起こりうる問題への警鐘をならしている出来事です。この事故と事件については、ここから無料で読むことができます(はんげんぱつ新聞「原発の来た町-原発はこうして建てられた/伊方原発の30年」米軍ヘリ事故については、p106〜p117に詳しく書かれています)。

 また、米軍の報告書によると、オスプレイは全国で低空飛行の訓練が予定。沖縄から東北まで6ルートが想定されており、墜落の恐怖にさらされるのは、沖縄、岩国、伊方だけではないというのです(6/12しんぶん赤旗)

 原発再稼働とオスプレイ配備が、なぜセットで行われようとしているのか。この国は、主権国家でも民主国家でもないんじゃないのか、そう暗澹たる気分になりますが、先週末は、官邸前や福井県おおい町に、再稼働反対運動で多くの市民がかけつけ、岩国駅前でも市民らが、「オスプレイ陸揚げ絶対反対」の声をあげる姿が地元山口のテレビに映し出されていました。人数はそう多くなかったと思いますが、「沖縄への入り口を作ってはいけない! だから岩国でがんばる」、そう語る男性の姿がありました。

 「闘っている相手が、途中で途方もなく巨大な相手だった、ということに気がついた」とは、近藤さんの言葉ですが、それでもあきらめることなく声をあげ続けてきた先人たちの歴史を、私たちが語り伝え、またつないでいかなくては、という思いを強くしたのでした。今週金曜日、官邸前に行きます!

(水島さつき)

'12.6.27

VOL.360

相手の言葉に耳を傾けることの大切さ

 「こちらが一方的にまくしたてるような営業トークは、同じようなものをたくさんつくって、たくさん売ろうとする大量生産・大量消費の時代の遺物です。人口が減り、高齢者が増えていくこれからの時代を勝ち残るには、利用者の要望に耳をじっくり傾けて、一緒に悩んで考えるヒアリング能力=カウンセリング営業が求められます」

 高齢者向け住宅の運営をはじめ、生活環境づくり・地域再生のための事業を展開している会社の社長さんに話を聞く機会がありました。彼は自社の仕事のあり方を上記のように表現したのですが、これは福祉や地域づくりに限らず、これからの企業、とりわけ中小企業の経営を考える上で示唆に富む言葉だと思います。

 社長さんの話を聞きながら、私は演出家・栗山民也さんの著書『演出家の仕事』の一節、「今の時代に、一番大事なことは、『聞くこと』のように思えてなりません」を思い出していました。たとえば俳優に求められるのは、自分が語る以上に、相手の言葉を聞くことだと著者は説きます。それによって自分のなかに生じる反応が言葉や身体を通して表現される。そこに演劇の本質があると考えるからです。

 社長さんは、日ごろから本や映画、芝居に接することの大切さについても話していました。

 本といえば、村上春樹さんのベストセラー小説『1Q84』にこんな表現がありました。

 「世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない。ものを考えない人間に限って他人の話を聞かない」

 主人公の男女の行方を追う頭脳明晰だが異形の男のセリフ。テレビの討論番組で、自分の意見を開陳するのに熱心で、相手の話を聞こうとしないパネリストにうんざりした経験はないでしょうか。

 ビジネスにおいて相手の言葉に耳を傾けることの大切さを説く社長さんはこうも語っていました。

 「コミュニティづくりとは便利さや効率性とは対極にあるものです。(当社の運営するハウスの)利用者の要望を聞き、資金を調達し、行政と交渉を行うといった面倒なことをたくさんクリアしなければなりません。でも、そうしてできあがったコミュニティが全国各地に広まれば、高齢化や過疎化、原子力発電を巡る問題を社会全体で解決していこうという機運と力が生まれると思うのです」

 世の中がいろいろな問題に直面して困っている時、それをどうやって解決してやろうかと考えて、わくわくしてくるんですよ、という稀有な経営者とお会いして、私は久しぶりに元気が出ました。

(芳地隆之)

'12.6.20

VOL.359

情報を扱う人間は謙虚でなければならない

 先日、オウム真理教元幹部の菊地直子、高橋克也両容疑者が警察に身柄を拘束されました。昨年末の平田信容疑者の自首に続き、特別指名手配されていた3名が全員逮捕されたことになります。

 マスメディア関係者は菊地容疑者が住んでいたという相模原市のアパートに詰めかけ、高橋容疑者がキャリーバッグを預けていたとされる鶴見駅のコインロッカーに殺到しました。後者では「キャリーバッグには麻原彰晃の著作が何冊か入っていましたッ」と興奮気味にカメラの前で語る記者も。高橋容疑者はまだ全然反省していないぞと言いたかったのでしょうか。

 オウム真理教による強引な信者獲得や坂本堤弁護士一家の失踪事件の関連を問われていたころの教団幹部たちの表情を思い出します。テレビカメラの前で嬉々としている彼らは、自分たちが脚光を浴びることのうれしさを押し殺しているといった様子でした。たとえ教団への批判であっても、マスメディアが騒げば騒ぐほど、オウム真理教の幹部は自己を過大評価していく。そんなふうにも見えました。マスメディアがオウムの欲望を肥大化させた面があったことは否めないと思います。でもそんな自省の姿勢は微塵も感じられない今回の報道ぶりでした。

 つい最近では母親が生活保護を受けていたとお笑い芸人がバッシングを浴び、謝罪会見の様子をニュース番組のトップで報じるテレビ局もありました。菊地・高橋両容疑者の逮捕同様、ニュースの扱い方に強い違和感が残りました。

 私は日ごろより、情報という商品を扱う職業人は謙虚でなければならないと思っています。農業、畜産、漁業、林業といった、私たちが生きていくためになくてはならない職業や、航空機から日用雑貨にいたる様々なモノづくりの仕事の次に来るものと考えるからです。マスメディアがなくても私たちは生きていけるけれど、農家の人々が仕事をしなくなったら、私たちの生活は立ち行かなくなる。そんな思いが報道する側にあってこそ、情報のもつ意味と価値を熟考できると思うのです。

 ところが実際には逆。情報を商売のタネにしている人間の傲慢さの方が目立ちます。自分たちのさじ加減次第で世の中を動かすことへの欲求が、マスメディアで働く人々には抜きがたくあるのでしょうか。

 マスメディアが道徳を説く時は要注意です。情報収集を怠った結果、ある事象を自ら分析・解釈することを放棄したとき、彼らは沈黙を守る代わりに、何かあるいは誰かへのバッシングを始めることがあります。

 いつ誰がどこでマスメディアの標的にされるかわからない。最近のオウムや生活保護関連の報道に接して思ったことでした。

(芳地隆之)

'12.6.13

VOL.358

一国の首相が国民を脅してどうする

 「どんなに安全基準を厳しくしても、残余のリスクに対して、私は責任を負えない」
(アンゲラ・メルケル首相)

 「(原発再稼働は)私の責任において判断します」(野田佳彦首相)

 福島第1原子力発電所のシビアアクシデントの映像を見たドイツの首相は、これまで躊躇っていた自国の脱原発の姿勢を明確にしました。一方、事故当事国である日本の首相は上記の発言の後、福井県大飯原発の再稼働の必要性とその安全性を強調しました。

 いみじくも原発に関して責任という言葉を2人の国家元首が使ったわけですが、後者のいう「責任」とは何なのでしょうか? いまだ収束していない原発事故の責任を誰もとっていないなか、野田首相は自身の「責任」をどう考えているのか。

 政治家は言葉が命の職業です。全身全霊を傾けて国民を鼓舞し、未来への希望を抱かせる。「一時的な経済的苦境に立とうとも、ここはみんな踏ん張って、何とか乗り切りましょう。新しい未来のエネルギーを日本の先端技術で開発し、世界のトップランナーになろうではありませんか」といった演説を期待したわけではありませんが、彼の「原発の夏場の再稼働だけでは小売店や中小企業などへの影響が大きくて、国民生活を守れない」は、一国の首相が国民を脅しているようにしか聞こえませんでした。

 野田首相は言葉の使い方を間違っているのではないかと思う時があります。消費税率の引き上げについても、「消費税引き上げ法案を通過させることに自身の政治生命をかける」と胸を張りますが、よく考えてみると、野党である自民党は消費税率の引き上げに反対しているわけではありません。むしろ先の衆議院選挙で民主党が掲げ、国民の多くが支持したマニュフェストを撤回しろと主張している。野田首相は、民主党内部の消費税率の引き上げに反対する議員たちと戦うために政治生命をかけると言っているわけで、ひいては「まずは税金の使い方の無駄を省く。それまでは消費税率を引き上げない」と約束した民主党を支持した国民に対峙していることになります。

 野田首相はそうした自分の立ち位置を認識しているのでしょうか。それとも認識しながら、あえて気づかないふりをしているのか。

 原発止めていたらとんでもないことになるぞといった脅しでも、身内との対立に政治生命をかけるなどと見栄を切るのでもなく、私たちの想像力を刺激し、明日の活力を湧かせてくれる言葉を政治家から聞いてみたい。切に思います。

(芳地隆之)

'12.6.6

VOL.357

消費者意識を拭ってみよう

 1年半ほど前のこと。東京都のある区立中学校の学校説明会に参加しました。校長先生が一通り学校の紹介をした後の質疑応答。スーツを着た保護者の男性が挙手して立ち上がると、

 「貴校は他校とどのように差別化を図っておられるのですか」

 おいおい差別化って、いま校長先生が説明したばかりじゃないかよ、あんた、いままで何聞いてたの? 思わず口に出そうになりました。校長先生の説明が延々と長かったあげくの、この質問だったのでキレそうになったのかもしれません。ただ、瞬間湯沸かし器的に熱くなった頭を冷まし、改めて質問の主を見ると、彼はどこか得意気な表情をしていて、私には「この人は『差別化』という言葉を使いたかっただけなのではないか」と思えてきました。

 勤め先の会社で誰かのプレゼンテーションを聞いている気分だったのかもしれません。でもここは学校。しかも公立の中学校です。授業のカリキュラムの大枠は他の区立中学校と変わりません。要は差別化のしようがないのです。にもかかわらず、このような勘違いした保護者が現れるのは、公立中学校を選択制にし、意味のない競争をさせるからでしょう。新入生の数で、ご褒美やペナルティが教育委員会から与えられるのか? 保護者が「差別化」などという言葉を使い、「おたくは何をしてくれるの?」といった態度をとるようでは、地域ぐるみで学校の運営に関わっていこうという意識は育ちません。

 第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディは就任演説で「祖国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが祖国のために何をできるか考えてほしい」と語りました。

 JFKのこの言葉を知ったとき、私は違和感を拭えませんでした。「滅私奉公」的なことを大統領が国民に求めているように聞こえたからです。その真意が「お任せ民主主義ではだめ」ということにあると気づいたのは、ずっと後のことでした。

 首相の首をすげ替えたからといって、急に政治がよくなるわけがないことはみんな薄々感づいている。それでも「これが駄目なら、あれ」というような選択肢を考えてしまうのは、私たちが消費者的な目線で政治の世界を見ているからかもしれません。でも、政治や地域社会、教育の世界に消費者は存在しない。私たちが消費者意識的「お任せ民主主義」から脱却しない限り、独裁者的な救世主を待望する気持は私たちの中でくすぶり続けるのではないか。メディアが持ち上げる大阪市長の言動などを見聞きしていて感じたことでした。

(芳地隆之)

'12.5.23

VOL.355

モノが売れない時代
価格競争はもうやめにしたら?

 若者のクルマ離れ、アルコール離れなどが久しく言われています。彼女を乗せてドライブをなんて考える若者が少なくなったとか、仕事の後に会社の上司と飲みに行くのを嫌がる社員が増えたとか。でも、若者がマイカーを嬉々として乗り回したり(クルマ離れというのは公共交通機関を利用すれば不自由なく移動ができるエリアに住む若者を対象にしています)、仕事帰りに上司のお酒に無理して付き合ったりするよりはいいのではないでしょうか。私には、若者たちが自動車という高価な商品を買っていた時代の方にこそ違和感が大きい。「○○離れ」というのは、モノを売りたい企業の論理から生まれた言葉ではないかと思うのです。

 あえて「○○離れ」の理由を探るとすれば、『絶望の国の幸福な若者たち』などの著書がある社会学者、古市憲寿さんが指摘するように、インターネットや携帯電話を使えて、マクドナルドや吉野家で外食し、ユニクロなどのファストファッションでおしゃれができる。つまり、そこそこのお金で、そこそこに楽しむことができる環境に多くの若者がいるからかもしれません。ファストフードで食べればワンコインでお釣りが返ってくるし、1000円あればそれなりのクオリティの服が買える。毎月5000円くらい払えばネットや携帯は使い放題、暇だったら仲間とカラオケへ。2011年に行った内閣府の調査では、今の生活に満足を感じていると答えた若者の割合が過去40年で最高となる7割に達したとの結果が出ています。ただ、それはデフレのおかげで得られた満足にすぎないのかもしれません。

 「激安」を競う時代にあって、価格が下がらないものがあります。土地と教育です。首都圏に狭いマイホームを買って、ローンを一生かけて返済している、あるいは子供をいい学校へ入れるため、高い授業料を払うために多額のお金を捻出している。そんな家庭は少なくありません。私たちの生活にとって本当に大切なものが手に入らなくなっているのです。

 土地の価格や教育費が下がらないのは、それらが外国から輸入できないからです。だから外国の安い労働力、安い原材料に依存した「激安」商品との間に極端な価格差が生まれる。それが国内産業に打撃を与え、低価格化が回り回って私たちの収入を圧迫し続ければ、家と教育にかかるコストは一般庶民にとってますます重い負担になるでしょう。いま満足度の高い若者たちのなかでも、将来それらを諦めざるをえない人が増えていくはずです。

 モノが売れない→価格を下げる→人件費を抑える→私たちの所得が減る。この連鎖は大量生産・大量消費を前提とした経済が行き詰った結果、生れたものだと思います。はたして250円の牛丼や1000円のジーンズは、私たちが本当に求めているものなのか? そう自問することで、私たちは「本当の豊かさとは何か」を考えることができるのではないでしょうか。

(芳地隆之)

'12.5.16

VOL.354

変わる家族のかたち

 「『男性稼ぎ主』の安定雇用に依存した社会システムは機能不全に至っている。女性の就労率を引き上げ、育児と仕事の両立を支える施策なくして、将来の財源ももたず少子化も防げない」

 作家の大野更紗さんは、「日本型福祉の終わり 「家族の革命」が進んでいる」(4月15日付「朝日新聞」)のなかで、こう記しています。また、同じ記事のなかで、「『核家族』は『典型』ではなくなる。『核家族』というユニットの維持に必要な費用を1人で稼げる男性は、残念ながら、もうそう多くはいない」とも。

 サラリーマンのお父さん、専業主婦あるいはパートに出ているお母さん、そして2人の子供――これがもはや平均的な家族像ではなくなったということです。50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合である生涯未婚率は、男性20.1%、女性10.6%(2010年時点)。東京都では1世帯当たりの平均人数が1.99人、総人口に占める65歳以上の割合20.76%と急速に少子高齢化が進んでいます。

 ゆえに「家族内福祉」と「企業内福祉」に支えられてきた日本型福祉はもはや成り立たないというのが大野さんの指摘ですが、それと並んで「核家族」を前提とした地域社会の在り方も揺らいでいるように思えます。

 地域の人々の交流において子供の通う学校が果たす役割は大きなものでした。PTA活動はもちろんのこと、町の美化運動や交通安全週間など、保護者たちの出番は少なくありません。一方、同じ地域に住む単身者や子供のいない夫婦は蚊帳の外(もちろん近所づきあいはしたくないという人もいるでしょうが)。また、子供がいても、地元の小中学校を卒業してしまえば、地域とは疎遠になってしまいます。

 とすれば、これからの地域社会は単身、同棲カップル、ひとり親といった世帯も想定していかないと、もたないのではないか。かといって、そのための場を新たに設けることは難しいでしょうから、たとえば自治体が小学校の教室をカルチャーセンターとして開放するとか、体育館を市民の様々なスポーツの場として提供するとか、小学校をつながりの場として活用できないかと思うのです。選挙の時は投票所になるくらい、地域における小学校の存在感は小さくありません。小学校から聞こえてくる子供たちの声に、ささやかな幸福感をもらったことのある人は少なくないはず。そんな気持ちも地域の人々と共有できたらなおのこといい。

 民主党が2009年の衆議院選挙で公約として掲げた「子ども手当」は、野党が批判するような「ばらまき」ではなく、社会全体で子供たちを育てていこうという理念の下に生まれました。そのことをあらためて思い出しています。

(芳地隆之)

'12.5.9

VOL.353

帰省ラッシュがなくなっていく

 連休の最終日である明日、空の便はほぼ満席です――。ゴールデンウィーク後半の5月5日、テレビのニュースはこう伝えていました。「ほぼ満席」とは「まだ空きがある」ということです。にもかかわらず「帰省ラッシュ」という言葉を使っていたのは、これまでの報道の惰性だったのかもしれません。

 ゴールデンウィークや夏休み、年末年始など、大型連休を使って「田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家にいく」という家族が少なくなっているように思えます。戦後の日本が高度成長期を迎え、地方から都会へ労働力がどんどん流入したのは1960年代のこと。その世代の子供たちが大人になったいま、田舎は自分たちの親の故郷に過ぎなくなり、だんだんと疎遠な地になっているのではないでしょうか。日本各地で「限界集落」という言葉が語られて始めたことと軌を一にしているように思えます。

 その一方、地方から東京へ行く若者の数も減っています。

 毎日新聞のコラム「大きな声では言えないが」で牧太郎さんは、地方から有名大学を受験する若者が減る「大学のローカル化」について書いています。牧さんによれば、都会で生活する子供に仕送りできる経済的余裕がなくなり、東大でなければ、(京大や早慶などへも行かず)地元の大学へ通って、地元で就職してほしいという親の都合や願望が反映されているというのです。

 若者のなかに「東京で一旗揚げる」といった立身出世の気風が希薄になっていることもあるでしょう。そもそも東京へ行かなければ実現できない夢というものも少なくなっています。首都に集中していた政治・経済・文化などに関する情報も、いまではインターネットによって瞬時に物理的な距離を超える。歌手・吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』の歌詞は過去のものとなりました。

 地元で学び、地元のために働く。そんな若者たちが増えれば、東京に一極集中したこの国のかたちが変わるのではないでしょうか。思えば地方はこれまで地元の優秀な人材を、東大をはじめとする都会の大学へ輩出するばかりでした。これからは地域の人材が地域のために働く時代がきます。中央に依存したり、中央の言いなりになったりせず、自分たちで食べていける仕組みをつくっていく。そうすれば地方の犠牲の上に成り立っていた原子力発電所の存在も不要になるでしょう。そうした模索のなかに私たちの未来が見えてくると思います。

(芳地隆之)

'12.4.25+5.2

VOL.352

輝くゴールデンウィークになりますように

 今週の「マガジン9」は連休合併号となります。
 ゴールデンウィークは、春の訪れと共に植物が輝き出す、1年のうちで最も心躍る時期ではないでしょうか?
 日頃の疲れを癒す人、家族サービスに励む人、被災地へのボランティアや観光をかねての復興支援、といった計画もあることでしょう。
 そんな楽しみに加えて、今年は「5月3日憲法記念日、4日みどりの日、5日こどもの日」の3日間が、特別な意味を持って見えています。
 「憲法第13条が保障する幸福追求権を為政者につきつけ、盛り上がるグリーンアクティブを実行し、こどもの日は〈原発ゼロ〉の日となる」。
 これは今、決して夢物語ではないところまできていると思います。
 「青臭い」と言われようがやはり、市民の力しか、社会を動かし変えていくものは、ないと思っています。
 かつて全国各地で起こった自由民権運動が、戦後の日本国憲法の礎を作ったことを、憲法記念日を前にまた思い起こしていました。
 デモ、集会、勉強会を根気よく続けていくことは、決して無意味ではないことを、歴史は証明しています。
 市民を権力側に利用しようとするトップダウンではダメなのです。そこに市民がまた期待するのも、安易で危険だと思います。

 次回の更新は、5月9日です。有意義なゴールデンウィークをどうぞお過ごしください。

(水島さつき)

'12.4.18

VOL.351

チームは、トップダウンではなくボトムアップで強くなる。

 「才能の突出した子供がチーム全体を引っ張り上げるよりも、特段うまくなくても、みんなが互いにフォローし合えるチームの方が強くなるんです」

 小学生の娘が所属する地元のサッカークラブのコーチはそう言いました。娘も含めた新6年生中心のチームは、前チームよりも技術では劣るし、みな大人しくて元気に欠ける、どうなんでしょう? と私が尋ねたことへの答えでした。

 「それに(新6年生は)みんな仲がいい。これはとても大切なことです。ピッチの上で仲間にネガティブなことは言わない、お互いに励ましあう。130%の力を発揮する子供がいても、他の子供たちが萎縮して50%くらいの力しか出せなかったら、そのチームは機能しませんから」

 そんなコーチの言葉を思い出しながら、先日、県内での交流戦を見て驚きました。1人の選手がボールをうまく回せないと、すかさず誰かがフォローに入る。それを繰り返しながら、みな、ひたむきに走るのです。結果はすぐにはついてきませんが、彼女たちの成長ぶりに目頭が少し熱くなりました。

 みんなが平均的でも、お互いに支えあうことで、チーム全体をボトムアップする。そのお手本を見せてもらったような思いでした。

 「秋の県大会まで、アンダー12(5〜6年生が中心)には少し厳しい練習を課しますが、それが終わったら、小学校を卒業するまでサッカーを楽しんでもらうように指導します」

 日々の練習は試合に勝つためではありますが、基本にあるのは中学生になっても、高校生になっても、大人になっても、サッカーを好きでいてもらうこと。これがクラブチームの方針です。

 地域での活動とは別に、県では各チームから選手を選抜して合同練習をしています。そこに今年、なでしこジャパンの佐々木則夫監督が訪れました。佐々木監督はサッカー少女たちにくだんの優しい声で、「みなさん、なでしこで待ってますよ」と語りかけました。

 小学生たちがそういう機会に恵まれるのは、日本サッカー協会がきちんとしたピラミッド型の組織をつくり、サッカー人口の底辺を広げる努力を続けているからでしょう。

 Jリーグのスローガンは「スポーツで、もっと、幸せな国へ」。

 いま平和のイメージを描けといわれたら、私は、子供たちがお互いに声を掛け合って、ボールを追って走る週末のグラウンドを思い浮かべます。

(芳地隆之)

'12.4.11

VOL.350

手に職をもつということ

「子供には、中途半端な気持ちで大学へ行くくらいなら、早く手に職をもってもらいたいですね」

 妊娠4カ月目を迎えた職場の同僚は、おっとりした口調で言いました。

「身体ひとつで稼げるように。私はそうじゃないですから」

 と言う彼女自身は事務処理能力が高く、渉外をそつなくこなし、外国語に堪能で、文章もうまい。私の何倍も仕事ができる人です。そんな彼女に「いざという時、自分は何もできない」と言わしめたのは、昨年3月11日の東日本大震災でした。

 手に職をもつ――とても味わい深い言葉だと思います。大工、旋盤工、パン屋、庭師など、いろいろな職業が思い浮かびますが、どれも自分の身に着けた技で稼ぐ職人さんたち。

 昨日まで当たり前のようにあった建物、生活インフラ、流通のシステムなどが自然災害によって一気に瓦解したら、職人といえども、直ちに自分の腕を発揮するというわけにはいかないでしょう。ただ、自分の身体が労働と密接に結び付いた人と、そうではない人とでは、自然の猛威に対する心構えだけでなく、身体の反応さえも違うと思うのです。大震災の日、私は自分の無力さをいやというほど思い知らされました。

 個人的な話ばかりで恐縮ですが、私の父方の祖父母は、香川県の小さな集落で米やみかん、たまねぎをつくっていました。それだけでは家計が苦しいので養豚もしており、子豚たちが生まれると、親豚が子豚を圧死させないよう、豚小屋の前に座り交代で寝ずの番をしていました。母方の実家は東京の世田谷でタイルの施工業を営んでいたので、地方から上京してきたお兄さんたちが住み込みで働いていました。彼らは何年かの修行の後、きちんとした仕事ができることを認められると、のれん分けをしてもらい、独立していきました。

 人間の働き方は時代とともに変わります。産業構造が1次産業→2次産業→3次産業へとシフトしていくのが、これまでの経済発展のプロセスでした。でも、それが行き着くところはどこなのか? いま私たちの社会を覆う漠とした閉塞感は、私たちの労働が自分の身体からどんどん離れていってしまったことと無縁ではないと思うのです。

 手に職をもつとはどういうことか。自分なりに考えてみたいと思います。

(芳地隆之)

'12.4.4

VOL.349

国の機能不全の先に何が待っているのか

 最近、フェイスブックの有難味を感じています。数年前に手帳をなくし、むかし住んでいたベルリンの友人たちのアドレスをすべて失ってしまいました。ところがフェイスブックのアカウントをとってしばらくすると、何人かから連絡がきたのです。彼ら、彼女らとのやり取りはとても懐かしく、しばらくは気持ちが若返った気分でし た。ただ、同時に当時の東ドイツが瓦解していった記憶も鮮明に蘇ってきました。

 東ドイツの民主化運動がベルリンの壁を崩壊させたことに間違いはありません。ただ、決定的だったのはソ連との関係です。東ドイツ政府は公式上、「ソ連は(東ドイツの)最大の同盟国」と賛辞しながら、当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が進めていたペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)に背を向けるという矛 盾を抱えていました。

 1989年10月、東ドイツ建国40周年式典に出席したゴルバチョフは東ドイツの首脳たちに対して「遅れてくる者は人生に罰される」と述べます。民主化を拒む東ドイツ指導部に対する痛烈な批判です。この時点で、ソ連は東ドイツ政府を見限ったのでしょう。その1カ月後にベルリンの壁が崩壊し、7カ月後には東ドイツの通貨が 西ドイツのマルクにとって代わられ、10カ月後には西ドイツに吸収されるかたちで東ドイツは世界地図から消えました。

 通貨や国って、意外に簡単に消えてしまうんだ。当時の私が実感したことです。

 ひとつの国が瓦解していく過程を思い出すと、私は東ドイツ政府が思考停止に陥っていった姿を、東日本大震災以降の日本政府に重ねてしまいます。

「私の母国で起きたことを見ていると、日本の政治が『3.11』以降ほとんど変わっていなことに驚きを覚える。(略)私は、責任ある政治家であれば、原子力の将来についてうそ偽りのないオープンな論戦を始める必要がある、と考える」。これはドイツのジャーナリストの言葉です(3月20日付『週刊エコノミスト』誌の特集「外国人特派員が見た3・11後の日本」)。ドイツは福島原発事故を受けて、明確な脱原発路線へと舵を切りました。上述のジャーナリストは、あれだけの惨事の後でさえ、日本の政治家が自国の未来を徹底的に議論しようとしないことに驚きを隠しません。

 日本の政官財界のエリートの多くは、東日本大震災による原発事故を「想定外」と呼びました。それは従来のマニュアルになかった事態を前に自ら白旗を上げたようにも聞こえます。ある種の敗北宣言ですが、にもかかわらず、当事者の多くは旧来のポストに留まっている。

 統治システムの機能不全が続く先には何が待っているのか。その先の絵は私たちが描かなくてはならないのかもしれません。

(芳地隆之)

'12.3.28

VOL.348

暴走族を見なくなったのはなぜ?

「暴走族:激減 都内ピーク80年の1/50」という記事を読みました。たしかに、特攻服をなびかせて「バリバリ」「パラパラ」と炸裂音を轟かせながら爆走する集団を見なくなって久しい気がします。この記事によると、暴走族が減った主な原因は、グループ内での厳しい上下関係が若者に敬遠されるようになったこと、長引く不景気でオートバイの改造などにかける金が不足していることだとか。警察の厳しい取り締まりも理由のひとつでしょうが、その社会的、経済的背景に、なるほどなあと思いました。
 ある集団が外に対してアナーキーな行動に出る場合、逆に内部では鉄の規律が必要になります。上からの命令であれば、下の人間は無茶な行為も辞さないという絶対服従の関係が求められるからです。
 暴走族が全盛であった1970年代後半から1980年代前半は、高度経済成長期の余波があり、バブルの前夜でした。それなりの報酬を得られる仕事もそこそこあったので、車体を改造するお金も捻出できたのでしょう。
 翻っていまの時代、学校の部活動でも先輩が後輩に理不尽なことを強いたりする風潮は少なくなりました(いわゆる「体育会系」とは、先輩・後輩もなく能力の優れた人間が表舞台に立てるというスポーツの本質を抑制するため、あえて導入した上下関係の仕組みだと思います)。クルマについては、そもそもそれをほしがる若者が減っているといわれています。かっこいいクルマに乗って女の子をナンパしようとする男子、最近はあまり想像ができません。
 暴走族は、高速で縦横無尽に走り回るスリルだけでなく、自己表現の場を求めていたようにも思えます。世の中に対する鬱積した感情。それを言葉にできないことが、あの行動を生んだ面もあるのではないでしょうか。
 当時の彼らにネットというツールはありませんでした。とすれば、「上下関係を嫌がり、遊ぶお金はあまりもたず、自分なりの表現の場をもっている」という現代の若者の平均像を描けるかもしれません。「いまの若者は内向きだ」とか「愛国心に欠ける」などと上から目線の説教調で語るのは、上下関係を重視し、お金もそこそこあり、自己表現の欲求が強かったいまの大人世代なのではないか。
 そんな見立てが多少なりとも当たっているとすれば、いまの若者の方が大人よりもずっとましだと、私は「暴走族:激減」の記事を読んで思ったのでした。

(芳地隆之)

'12.3.21

VOL.347

地方の中小企業経営者たちが動きだした

 20日に東京・銀座で行われた「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」の設立総会に取材参加してきました。
 「原発がないと、日本の経済は沈むとする、いわゆる“経済界”の主張は当たらないことが明白です。微力かもしれないけれど、同じ経済界にいる経済人として、発言して行動していきたい」、この会の設立とネットワーク作りに全国を奔走した世話人表の鈴木悌介氏(鈴廣=すずひろ=蒲鉾本店副社長)は、冒頭の挨拶でそう述べました。
 会場はメディアも数社入り満席。370人ほどの経営者が集まり、熱気にあふれていました。見渡したところ、9割が男性(年齢は40歳〜50歳あたり)。このところ、脱原発に熱心なのは女性ばかりで、男性は経済活動が大事だから、原発維持派、などと言われていますが、それは経団連の米倉会長のインパクトが少々強すぎたせいかもしれません。
 前出の鈴木氏をはじめ、出席したアドバイザーの各氏の発言は「未来の子孫に核廃棄物のゴミを押し付けるわけにはいかない」、「お金のものさしに、命のものさしを加えたい」、「日本から世界に脱原発を表明して、安心で安全な新しいエネルギー技術を世界に先駆け言うことが、どれだけ日本の活力を高めるか・・・」などなど。しごくまっとうな意見に拍手でみなさん応えていました。

 この日配布された会の「設立趣意書(案)」には、単なる反原発運動ではなく、原発がないほうが健全な国・地域づくりができるという対案を示し、それを実践していくことだと、その決意が書かれています。

 理想論を並べるだけでなく、すでに全国で展開中の実例も示されました。島根県の広田で風力発電会社を立ち上げた中国ウィンドパワー株式会社の矢口伸二氏のプレゼンでは、いいことばかりではなく、固定買い取り制度がスタートする前の状態では、赤字になるのでまだおすすめできません、などと事業の困難さを正直に紹介。「それでもやってみる価値はありますよ」とも。

 全国の各地域で実業を営んできた経営者たちが、地域の自治体や市民と共に、自分たちのエネルギーをどうするかを考え、エネルギー会社を自分たちで作っていく。地域が中央から自立するために、大資本や中央を介さなくても地方同士でネットワークをつくりながら、進めていくこの取り組みの意味は大きいと感じました。

 志のある経営者たちの実業を支えるのは、消費者である私たち市民でもあります。既にメンバーになっている会社を応援するなど、私たちができることは、たくさんあるでしょう。まず私は、今夜のおかずに鈴廣かまぼこを選ぶ、というところから始めてみたいと思います。

(水島さつき)

'12.3.14

VOL.346

信用金庫の経営者が描く未来とは?

 マガ9読者の皆さんのなかには、2月にNHKで放映されたドキュメンタリー「"魚の町"は守れるか〜ある信用金庫の200日〜」をご覧になった方も多いと思います。

 先の大震災で宮城県気仙沼市の企業の多くが津波による甚大な被害を受けました。この番組に登場する水産加工会社は、首都圏の高級レストランにフカヒレを出荷していたのですが、工場をはじめすべてを流され、市内の高台で再建を目指しています。でも、メインバンクの銀行は工場新設のための追加融資をしてくれません。

 廃業するしかないのか――。わらにもすがる気持ちで経営者の2人が訪れたのは地元の気仙沼信用金庫でした。再建に必要な融資額は約4億4,000万円。しかし担保になるものはなく、銀行には約2億円の借入がある。融資先としてはあまりにリスクが大きい。

 そこで信金担当者は政府系金融機関である日本政策金融公庫に相談し、被災地向け農林漁業の事業資金、2億8,000万円の融資を取り付けます。さらに残りの1億6,000万円のうち、8,000万円に同公庫の保証をつけてもらい、信金が背負うリスクを8,000万円にまで抑えたのです。

 ところがそれを聞いたメインバンクは、日本政策金融公庫がからむのであれば、自分たちが融資をすると態度を一転。もし信金と取引をするのであれば、貸している2億円を返済してほしいと言います。

 気仙沼信用金庫は腹を括りました。水産物は地元の大切なブランド。水産加工会社の将来性に賭けた気仙沼信金は、水産加工会社の銀行からの借入金約2億円を引受け、計3億6,000万円の貸し付けを決断したのです。

 信用金庫は地元の中小零細企業の存在があって成り立つ金融機関です。再生の可能性のある企業を見捨てたら、自分たちの存在価値が問われる。そんな思いもギリギリの決断を後押ししました。

 足で稼ぐ金融機関と呼ばれる信用金庫と、国際プロジェクトなどに資金を提供するメガバンクでは、地べたを這うのと空中戦を展開するくらいの違いがあります。3月24日のマガ9学校に登場していただく城南信用金庫の吉原毅・理事長が「原発に頼らない安心できる社会へ」を掲げ、同信金が地域の省電力・省エネのための設備投資に積極的な融資を行っているのは、地域社会を根こそぎにしてしまう原子力発電と、自らの活動は相容れないと考えたからではないでしょうか。

 日本の経済界で真っ先に脱原発の旗印を鮮明にした経営者の言葉に、対談相手のいとうせいこうさんはどう応えるか。2人の対話から新しい地平が見えてくるかもしれない。ぜひ多くの方にご参加いただきたいと思います。

(芳地隆之)

'12.3.7

VOL.345

8年目に入りました

 気がついたら3月でした。たった1年前の3月と今年の3月に、これほどの大きな隔たりが起きるだろうと、去年の3・11以前に想像した人がいたでしょうか?

 私たち「マガジン9」も、毎日のように流れてくる原発事故のニュースに一喜一憂、いや、"一喜"などしたことはありません、"一憂"ばかりの1年間でした。それは多分、この国に暮らすほとんどの人たちと同じ想いだったでしょう。

 そして、もう一度気がついたら、「マガジン9」が発足してから、なんともう7年間も経っていました。

 2005年3月、当時の小泉純一郎首相の圧倒的人気と、彼の進める有事法制や防衛省の格上げ、憲法改定などのキナ臭さに危惧を感じた人たちが、とにかく「憲法9条の精神を守ること」のみを唯一の合意事項として集まり立ち上げたのが、前身の「マガジン9条」でした。あれから丸7年間、何度も財政的危機に陥りましたが、なんとか歯を食いしばって「無料のウェブマガジン」を継続してきました。

 昨年の3月以降は、憲法9条とともに、原発が私たちの大きなテーマになって重くのしかかってきました。原発は、私たち地球上に生きる全生物にとっての根源的な問題です。

 事故原発がなおも放射性物質を漏らし続けている状況の中で、私たちは「マガジン9」をやめるわけにはいきません。小さくとも、はっきりと意見を言える場を保持すること。それが今、私たちがしなければならないことだと、スタッフは確認しあっているのです。

 改めて、読者のみなさんにお願いします。ぜひ「マガジン9」をご支援下さい。みなさんのカンパによって、この小さな「言論の場」を、もう少し続けたいのです。

 少ないながら寄稿者のみなさんへの原稿料、取材費、通信費、交通費、打ち合わせ費、事務所の維持費…。ボランティアに頼っているとはいえ、毎週が綱渡りです。

 どうか、よろしくお願いいたします。

(鈴木耕)

'12.2.29

VOL.344

肥田舜太郎医師と内部被曝

 放射能(物質)が人体に与える影響は、外部被曝と内部被曝があること。それは原爆や核実験、劣化ウラン弾といった核兵器だけでなく、原発という核施設の事故や通常運転においてさえも、「ヒバク」と同じような症状を引き起こしたり、癌や白血病などの原因になる可能性があるのだということ。つまり「核は核でしかなく、必ずヒバクシャを生み出すのだ」ということを突きつけられたのは、今から6年前の肥田舜太郎医師へのインタビューの時でした。

◎「ヒロシマ・ナガサキ」だけでは、核抑止論を乗り越えられない(06/8/30)
◎今も世界中で、生み出され続ける「ヒバクシャ」たち(06/09/06)

 当初は、8月の終戦特集号に掲載するインタビューということで、肥田先生ご自身の広島原爆の体験談とその年に画期的判決が出た原爆症認定集団訴訟についてお聞きするつもりだった私たちに、肥田先生は「ヒロシマ・ナガサキだけでは、世界の核抑止論はとても乗り越えられませんよ」と。「ヒバク」の問題は、地球上に住む全ての人が当事者であり、それを広めていくことが大事だということをおっしゃったのでした。

 肥田先生は、若い時からそれは精力的に、世界各地に出かけて行き、広島の体験と核廃絶を訴えて、講演をしてまわってきた方です。そして映画『ヒバクシャ』では、映画監督の鎌仲ひとみさんと一緒に、イラクやアメリカに出かけて行き、イラクの子どもたちやイラク帰還米兵の診察や取材も行ってきました。

 福島第一原発の事故が起きた時、真っ先に思ったのは、肥田先生がこの事態をどう見ているのだろうか、ということでした。事故から3ヶ月後、講演を聞きに行く機会がありました。「内部被曝が恐ろしいことはよくわかりました。で子どもには何を食べさせたらいいのですか、どこまで避難したら安心ですか?」そう不安げに聞く若いお母さんたちに先生は「自分の子どもさえ助かればいい、そういう考えが、今の社会を作り出し原発事故を生み出したとも言えるのですよ」。厳しい言葉が、私の胸にも突き刺さりました。

 私はこの時、一つの覚悟をせざるをえませんでした。私たちはもう既に「ヒバク」してしまった。その中でできることは何なのか? 自分の身体は自分の意志でせいいっぱい守る。そして原爆症のときと同じように、ヒバクの事実を隠蔽しようとする体制や圧力を追及していく。ヒバク患者を泣き寝入りさせない。未来の子どもにヒバクシャを生み出さない。

 今年95歳になる肥田先生が60年以上かけてやり続けてきたことを、一人でも多くの人と共有し、世界へと発信していきたいと思います。6年前に貴重なお話を伺いながら、脱原発に向けての具体的なアクションができなかったこと、申し訳なくそして後悔していました。

 映画『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝』4月7日より、渋谷アップリンク他で上映が決定しています。多くの人に見て欲しいと思います。

(水島さつき)

'12.2.22

VOL.343

「緑の意識」をメインストリームに

 先日、「緑の党のようなもの」=グリーンアクティブの立ち上げ記者会見が衆議院議員会館で開かれたので参加してきました。発起人である中沢新一さん(代表)、いとうせいこうさん、宮台真司さん、マエキタミヤコさんの他に賛同人として、加藤登紀子さん、鈴木邦男さん、鈴木幸一さん、そして「マガジン9」代表であり「時々お散歩日記」著者の鈴木耕も登壇しました。

 「党というよりはゆるやかに繋がった大きなネットワーク」づくりのためのプラットホームを目指すというというだけあって、登壇者の顔ぶれや発言もさまざま。「脱原発」「脱新自由主義」「脱拝金主義」「脱おまかせ民主主義」、そして「一人ひとりの市民が当事者となって、自然を大切にする社会や文化、政治をとりもどす」ということが、この運動体の共通の目的なんだろうと、私自身は理解しました。そう、何ら特別で新しいことを言い出しているわけではないのです。良い意味でそう思いました。

 印象的だったのは、加藤登紀子さんの言葉です。「中沢さんから緑の党のようなものを立ち上げる、そう聞いた時、あー良かった、やっとその時が来た。それを待っていたんだよ、と思いました。70年代から大きな意味では緑の党のようなものは、ありました。生活協同組合の運動や草の根の環境運動、有機農業もそうだし、自分たちの暮らしを守っていこうという主婦たちの運動もそうですね。でも残念ながらいつもマイノリティーの存在でありメインストリームになることはなかった。でも今、この日本にはもう木になって育っている緑たちがたくさんある、ということを私からちゃんと伝えたいし、この運動もそこと繋がっていって欲しい」。

 緑の意識というものが、「自然とやさしい関係を持ちながら暮らしていきたい」というものであるならば、加藤さんが言うように、それは日本に暮らす人たちの庶民感覚であり、原発への疑問や不安とは対極にあるものです。昔からあって当たり前で、でも今、危機に立たされている「緑の意識」を、どうにかみんなでとりもどしたい、メインストリームにしたい。そう、私も強く思った記者会見でした。

(水島さつき)

'12.2.15

VOL.342

「怒ると」と「キレる」は違う

 初めてエジプトの首都カイロを訪れた20代の頃、中東での勝手がわからず、「日本人と友達になりたい。うちでお茶を一杯飲んでってくれ」と言われて嬉々として付いていったら、相手は絨毯商人。「コーヒー飲んだんだから、絨毯、買ってけ」と押し売りされそうになりました。また、ピラミッド近くで誘われるままラクダに乗ったら、砂漠の遠くまで連れていかれ、「もらったお金は行きだけ。戻りたければ帰りの料金を払え」と小声で凄まれることに。

 エジプトの観光地がどこでもそうだったというわけではありません。隙だらけでふらふら歩いていた私がカモに見えたのでしょう。そのたび拙い英語で抗議しなければならず、ストレスを溜めていた私は、旅慣れた知人からかつて受けたアドバイスを思い出しました。

 相手に文句を言いたいときは、英語で話そうとせず、日本語を使え。内容よりも、こちらが怒っていることを伝えるのが重要なのだから――。

 滞在最後の日、空港へ向かうタクシーの運転手が明らかに遠回りしているので、私は日本語で「あなたは遠回りをしている。私は非常に不愉快だ。こんなことをするなら料金を払うことはできない」と手振りも交えて強い口調で繰り返しました。すると運転手は何やら毒づきつつも、正しいルートに入りました。

 私は怒るのが苦手です。「こんなこと言ったら、後で気まずくなるんじゃないか」などと思って、つい言葉を飲み込んでしまう。そんな自分の気の弱さに思いを巡らせていたあるとき、「怒りの方法」(辛淑玉著・岩波新書)という本を手に取りました。

 舌鋒鋭い批評で知られる著者によれば、怒りとは相手との関係を断ち切るためではなく、つなぎとめるためのもの。すなわち「自分はあなたとこれからも付き合っていきたい。だから○○なところは直してほしい」という姿勢で相手に向き合わなければならない、というのです。目から鱗が落ちました。

 ただし、この場合、こちらがいくら「関係を保つため」に怒っても、相手がそれを了解していなければ、諍いにはなっても互いの理解は深まりません。

 逆に、お互い率直に批判し合える土壌で育った相手に対して、摩擦を避けようとして怒りや批判を抑えるとどうなるか。かえって相手の誤解を招きます。それが積もり積もると話がこじれて、最後には対立を避けていたこちらがキレてしまう。最悪のパターンです。

 正しく怒ることを身につけたい。国内的には風通しのよい社会をつくるため、対外的には外国とのタフな交渉に臨むため、いまの私たちに必要なことだと思います。

(芳地隆之)

'12.2.8

VOL.341

同時多発的デモの背景

 モスクワでは反プーチンデモが断続的に行われています。2月4日には3万人規模の集会が開かれました。きっかけは昨年12月の議会選挙であったとされる不正への抗議です。それにプーチン氏が大統領に返り咲く動きへの反発が加わりました。ロシアは2000年以降、原油価格の高騰を背景に経済が飛躍的に発展し、国民の生活が豊かになった一方、拡大する貧富の格差に対する国民の不満がくすぶっていました。「中東の春」といわれる、2010年12月から繰り広げられている中東アラブ諸国での民主化要求デモも、突き詰めれば、中央政府による所得の再分配がきちんと機能しなくなったことへの怒りがあるのではないか。その意味で、これらの動きはアメリカ国民の1%が莫大な富を有することに抗議するウォールストリート占拠デモと通底していると思います。

 毎日新聞のコラム「時代の風」で浜矩子・同志社大学教授は、ある領域が単一通貨圏として成り立つための条件として、「経済実態の完全収斂」と「中央所得再分配装置(財政)の存在」を挙げています。前者は、物価水準、失業率、賃金水準、金利が同じであること。後者は領域内に存在する格差を埋めるため、裕福な地域からお金を巻き上げて、それを貧しい地域へ分配する政策のことです。そのどちらかが成り立っていないと、単一通貨圏は存続しないと浜教授は言うのです。

 これは現在のユーロ危機を念頭に置いた論考ですが、最後に浜教授が述べているように、日本でも格差が広がりながら貧しい地域への財政的補てんが中央政府によってなされなければ、統一通貨である「円」の存在理由が問われるかもしれません。浜教授は対談本『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』のなかで、将来、国の数よりも通貨の数の方が増えるのではないかと予測しています。

 世界の工場と言われ、各国企業の生産拠点が集積する中国でも、成長はいつか減速します。経済成長の恩恵が末端にまで届いているときはいいですが、パイが小さくなれば分捕り合戦が起こる。それに政府が正しく対処しなければ、国民の不満がいたるところで噴出し、「生活が豊かになるのだから、政治には口を出すな」という不文律が通じなくなるでしょう。

 私たちはとかく「アメリカは○○と考えている」とか、「中国は○○な主張をする」とか、国がパーソナルな存在であるかのように語りがちです。しかし、現在起きているデモは、同じ不満を抱いた人々の国を横断した動きといえます。それに対して、外に仮想敵をつくり国民の目をそちらに向けようとする政治的な動きも出てくるでしょう。今後は2つの潮流のせめぎ合いが続くと私は思います。

(芳地隆之)

'12.2.1

VOL.340

働いている姿が見える町

 私の母の実家は、東京の世田谷区北沢でタイル施工業を営んでいました。世田谷といっても北沢は、成城や玉川といった高級住宅街とは趣が異なり、実家の周辺には工務店や畳店、食堂、酒屋、煎餅屋などが住宅に混じって軒を連ねていました。

 狭い敷地に建てられた倉庫には様々な色や形をしたタイル、石灰やセメントの袋、工具、釘、脚立など、施工に必要な資材や道具が所狭しと置かれており、職人さんたちが仕事に出かけたあとは、私たち子供の格好の遊び場になりました。

 1970年代前後、私が住んでいたのは東京郊外の公務員宿舎(父は四国の田舎から上京し、郵便局員として働いていました)です。都営住宅や社宅、あるいは真新しい一戸建ての家が立ち並ぶ新興住宅地のなかにあったのですが、私は母の実家周辺の雑多な感じの方が好きでした。

 そのせいか、いまも郊外の整然としたショッピングモールなどに出かけると落ち着きません。量販店の商品は安いし、品ぞろえが豊富、店員さんも懇切丁寧なのですが、何となく居心地が悪いのです。

 渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)は、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人がどのような印象を抱いたのかを膨大な資料から丁寧に繙いた本です。同書には、新潟を訪れた英国人の旅行家・紀行作家、イザベラ・バードが「古着屋、扇屋、掛け物を売る店、屏風屋、羽織の紐を売る店、ちりめんを売る店、手拭いの店、煙草道具の店、墨を売る店、硯箱しか売らない店」など小さな専門店が軒を並べる光景に驚いたという記述があります。商店主たちは職人でもあり、店の奥でつくった商品を店頭に並べて売っていました。彼らは商品の特性を熟知しており、モノづくりへの愛情には並々ならぬものがあったといいます。当時の日本には商いが細分化されることによって、多くの人々が食べていける仕組みがあり、それは同時に作り手の技や誇りも育てていたのでしょう。

 地方の商店街がシャッター通りと化すことの弊害は、経済的な面だけでなく、地域に住む人々の労働に対する敬意や生産活動への親しみを削いてしまうことにあると思います。地方の駅前では寂れた商店街とそのなかに点在する消費者金融のATMをよく目にします。法人所得の1位が地銀で、2位がパチンコ店という自治体も珍しくありません。だから、たとえば野原の一画に立つ工場の煙突から煙が出ていたり、町の鉄工所で溶接作業の火花が飛んでいたりする光景を見ると、ほッとするのです。

 国道沿いに全国チェーンの量販店やレストランが林立する風景よりも、いろいろな仕事をする人の姿が見える小さな町を大切にしたい。それは私たちの消費スタイルを考え直すことでもあると思います。

(芳地隆之)

'12.1.25

VOL.339

首都機能移転論を再び

 大きな別荘みたいだな。旧西ドイツの首都ボンに立つ連邦議会(国会)を初めて見たときの印象でした。穏やかな流れのライン河湖畔に立つ建物のなかを見学すると、議場も質素なつくりで、日本の市町村のそれといったところ。人口30万人強の町ですから、散歩をしていて首相とすれ違っても何の違和感もありません。その前に見てきたロンドンやパリとの規模の違いに驚くとともに、なるほどこうした落ち着いた環境であれば政治家もじっくりと国の行く末について議論ができるだろう、と思いました。1980年代末のことです。

 その後、ベルリンの壁が崩壊し、統一ドイツの首都としてベルリンが返り咲いたのは周知のとおりです。ただ、東日本大震災以降、私は当時のボンの風景をときどき思い出します。

 3月11日、東京は機能が一時マヒしました。鉄道を中心とする交通機関はストップし、大量の「帰宅難民」が発生。物流は寸断され、多くの食品がスーパーの棚に届かなくなりました。そして福島第一原子力発電所のシビアアクシデント(過酷事故)によって首都圏への電力供給が支障をきたし、都会の人間は電気が止まると排泄も満足にできない状況にいることを思い知らされました。

 東京がダメになったら日本がアウト。この国はそんな脆弱な基盤の上に立っている。

 近い将来、マグニチュード7レベルの直下型地震が首都圏で発生すると予測されています。そんななか政治、経済、金融、情報、教育など主要分野の中枢が東京に集中していることのリスクはあまりに大きい。せめて政府機関は東京から離れたところに置かれるべきではないか。たとえば那須塩原市(栃木県)や仙台市(宮城県)への新首都構想は以前から議論されていました。

 政治を司るに東京は規模が大きくなりすぎたとも思います。コンパクトな都市ならば、政治家の動向や省庁での議論が見えやすくなる。業界との癒着などの弊害も少なくなる。そして政治に緊張感が生まれる。

 ちなみに首都がベルリンに移っても、ドイツの政治家が国民にとって身近な存在であることに変わりはないようです。私は2000年代初め、ベルリンのブティックで娘と連れ立った当時のシュレーダー首相と、街角の花屋さんでシリ―内相と出くわしたことがあります。周囲の人は騒ぎ立てるでもなく、SPは少し離れたところに立っている(シリ―内相にはついていませんでした)。私が「こんにちは」と声をかけると、2人とも気さくな笑顔で返してくれました。

(芳地隆之)

'12.1.18

VOL.338

手仕事に囲まれた生活を取り戻したい

 高校時代の友人に水彩画家がいます。彼女の作品には繊細な色合いによる静物や風景をモチーフにしたものが多く、その柔らかで幻想的な世界は、シャガールが水彩絵の具を使ったらこんな絵を描くのではないかと思わせるほどです。シャガールは晩年、パリのアトリエにおいても故郷である白ロシアの農村の世界を繰り返しカンバスの上に現していました。

 水彩画家の彼女と、お正月で香川県の実家に帰省しているときに会った際、こんなことを言っていました。

 「飼料の価格は上がるのに、卵の値段は上がらない。また、だし巻き卵を家族でつくらないといけないかな」

 彼女の実家は養鶏を営んでいます。地元の農業高校を卒業したお父さんが「これからの日本人のタンパク源に」と始めて50年以上、いまもお母さんとともに約7千羽の鶏を飼育しています。

 だし巻き卵は数年前、飼料の高騰や卵の売れ行きがよくないときに、市場に出さなかった卵を使って家族総出でつくったそうです。道の駅で販売したら、とても好評だったとか。ちなみに妹さんはお菓子職人で、実家の卵を使ったクッキーをご馳走になったことがあります。市販のものでは味わえない、舌の上で優しくとろけるような美味しさでした。

 おいしくて安心・安全な卵を食べてもらいたい――そんな作り手の思いと手間を惜しまない苦労の上にできた産品の価格が、飼料穀物の需給動向、あるいは先物取引における投機といった国際市場の動きに左右されてしまう。そんな理不尽もグローバリズムの一面といえるでしょう。

 私は養鶏について詳しくはありません。ただ、作り手の目が行き届き、風通しのよい日光の入る鶏舎を保つには一万羽くらいが限度のような気がします。それを超える規模になると、人の手を超えたオートメーション化が進み、卵は工業製品に近くなっていくと思えるのです。

 同級生の彼女は絵画教室も開いています。地元の老若男女の方々に絵を描く楽しさ伝えるのも大事な仕事。また、NPO法人で介護の現場にも携わっており、考えてみると、彼女や彼女の家族はみんな地域での「手仕事」に従事していることに気づきました。

 土地バブル、ITバブル、金融バブル……。経済を実体以上に膨らませて見せるものに惑わされることなく、作り手の温もりを感じるモノに囲まれて生活したい。そんな思いを持っている人は少なくないはず。

 手仕事は私たちが長年大切にしてきたもの。今年はそこからリスタートしたい。そんなことを思わせる再会でした。

(芳地隆之)

'12.1.11

VOL.337

小さな山間地に見る日本の未来

「私たちは脱原発を掲げてやってきたわけではありません。1990年代にバブルの余波で建てた町内のリゾート施設の電気代が年間1500万円もかかってしまい、それを捻出するために風力発電を始めたのがきっかけです」

 お正月に高知県高岡郡梼原(ゆすはら)町を訪れた際、住民票の発行などのために休日出勤していた若手職員の方とお話しする機会がありました。

 日本の清流として名高い四万十川の源流に位置し、全面積の約90%を森林が占める同町が、デンマークから風力発電設備2基を購入し、標高1300メートルの四国カルストに設置したのは1999年のこと。いまではその電力を四国電力に売って年間約3500万円の利益を上げるまでになり、それを町の環境基金として積み立てて、太陽光、地熱、小水力、バイオマスなどの様々な自然エネルギーの普及に振り向けています。

 梼原町の役場のなかは木のいい匂いが漂っていました。吹き抜けのロビーは広々として明るく、地元産の杉やヒノキとガラスをうまく組み合わせたモダンな庁舎の正面は全面開放される構造になっています。

「ここには固定したテーブルやベンチを置いていません。南海地震が発生した場合、ホールを住民の避難所にするためです」

 町議会の机や椅子もすべて移動式でした。

「議会の会期中、傍聴席はほぼ満席になります。町民の行政への関心が高いんです」

 梼原町が全国に13ある環境モデル都市のひとつとなる道筋をつけた前町長の中越武義さんは在任中、住民に「町に何をしてほしいかではなく、自分は町のために何ができるかを考えてほしい」と語りかけたそうです。ごみひとつ落ちていない清潔な街並みを見ると、それが中越前町長のリーダーシップだけではなく、住民の自治意識の高さに拠るものであることが実感されます。

 メイン通りのレトロなデザインの街灯は小水力発電、役場からちょっと離れた温泉施設に隣接する温水プールは地熱発電を使い、森林整備の際に出る間伐材は木質ペレットに加工して販売、合鴨農法によるコメ作りも盛ん。かつて「陸の孤島」といわれたこの町は、「風、光、水、木」という自分たちのもっている資源をフルに活用し、自立への道を歩んでいるのです。

「課題は林業分野の人手不足。梼原町に移住してくる若者も増えているのですが、きつい仕事なのでなかなか定着しません。なんとか自分たちで稼ぐようにして、(国に頼らない)町づくりをしていきたいのですが」と語る若手職員の方は実にいい表情をしていました。

 財政の悪化、少子高齢化、第一次産業の衰退といった深刻な問題を住民たちの手でひとつずつ解決していく。人口4000人足らずの四国の小さな山間地に、日本のあるべき未来を見る思いがしました。

(芳地隆之)

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